夢と希望と(虹原太助)

戸田ゼミコラムのアーカイブです。このコラムはすでに連載を終了されています。

「5.スムーズな体質改善
『フランスとかイギリスとかベルギーとか、
ヨーロッパ各地に輸出しているそうですが、ヨーロッパでは
つくっていないのですか』
『つくっていることはつくっています。
現在二千七百トンのうち、千七百トンが輸出されていますが、
船賃をかけてヨーロッパまで持っていても競争ができるのです』

『カナダからチタン・スラッグを輸入して、それでなお安く輸出できるのは
どういうわけですか?』
『やはり労賃の関係でしょうね。オートメと言っても、ごらんのように、
各部分部分はオートメですが、製品の性質上、
原料から製品まで一貫したオートメはできないのです』

『チタンの原料面は大丈夫なんですか?』
『ええ、大丈夫です。今のところ、カナダのケベックから
酸化チタン含有率七五%の原鉱石を輸入し、オーストラリヤから五五%の
イルミナイト鉱を輸入して、この二つをまぜ合わせて使っていますが、
イルミナイト鉱については目下、マラヤで試掘をはじめています』

聞いてみると、なるほど酸化チタンは成長産業と目されている業種には
ほとんど使用されており、なかでも関西ペイントや日本ペイントのような
大手の塗料会社では大量に使われている。
しかもこれにとって代わりそうな商品は目下のところ
現れそうもないというから、石原産業の総売上げのなかで占める
五〇%という比率は、今後ますます大きくなりそうである。
肥料の占める比率は二八%、農業その他が二二%、この調子だと
採算のかんばしくない肥料の比率は今後ますますわるくなって行こうから、
知らないうちにすっかり体質改善ができてしまったわけだ。

『化学産業は競争の激しいところなのに、どうして他の会社が
乗り出して来ないのでしょうね。
どこか大きな会社でやろうという計画はないのですか?』
『それはないようです。業種として、大化学会社が手をつけるには
余りに規模が小さい。といって群小メーカーがやるには少し大きすぎる。
言ってみれば化学産業の盲点をついて、
うまくそこへはまりこんだという形です。
ですから仮に他社がのり出してきても、この五年間の技術に追いつくのは
容易でないと思います』

そういう産業だから、ソ連もおおいに色気を示し、
いろいろと照会があるそうである。

『すると、近いうちにまた設備投資をはじめることになりますか?』
『やることはやりますが、それより先に硫酸のほうが間に合わないので、
硫酸量の増強をやっています。
それから、酸化チタンの廃液から硫安をつくる発明をしたので、
目下、その工場を建てています。
出来あがった硫安は値段が他社にくらべてずっと安いですから、
自家製合成肥料に導入することになっています』

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6.うちの株価は安すぎる
以上の会話からもわかるように、石原産業の体質改善は関連産業の
合理化によって進められているので、まったく危なげがない。
設備投資のための資金需要は十一億円にのぼるし、
長短合わせて二十七億円余の借入金もあることだし、
どうしてもここで増資にふみきらざるを得なくなってきている。
一方、業績のほうは着実にのびはじめ、

       (百万円)  (〃)  (%) (〃)
 年月     売上高   利益   同率  配当
34・3   二、九二二   三四   四  
34・9   三、七八四   四九   六  
35・3   三、八五三  一三二  一五   六
35・9   四、四八二  三〇四  三二  一〇

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今三月期には売上げ百五十億円、
計上利益も三億五千万円程度になる見込みである。
資本金十八億七千四百六十万円に対して、三七~八%の利益率だから、
一割二分への増配、続いて増資という線が浮かんでくる。

                                                                           .
7.予想外に明るい前途
増資の幅がどの程度になるかはまだ決定されていない模様だが、
六割の増資をすれば、だいたい、三十億円になるから、
この線が一応常識的なところであろう。
その場合、再評価積立金をまだ七億九千八百万円持っているので、
若干の無償をつけることも考えられる。
ただ授権資本の枠が目一杯のところにおかれているので、
五月の総会で授権資本の枠を拡大し、
同時に増資発表ということになるのではあるまいか。

実はこの原稿を書くにあたって、石原さんと会うつもりであったが、
東京と大阪とスレ違いになってしまって
どうしても原稿の締切日に間に合わない。
あてずっぽなことを書くことになって、はなはだ気がすすまないのだが、
『うちの株価は安すぎる』
と石原さんが言っているのを間接的に耳にし、私も工場を見てから、
これに同意した。
それは酸化チタンの何者であるかを私もはっきりと見定め、
その前途が予想外に明るいことを了解したからである。

近ごろは産業界に対する証券会社側の調査も比較的進歩し、
従来、クセが悪いと言われていた株もだいぶん矯正されている。
日本カーバイドなどはその好例であろう。

信用銘柄ではあるが、そういった意味合いから、増資接近とともに
石原産業がさらに買い進まれて、二百円台にのせる可能性は
十分あると考えられる。」

                                                                           .
                                                                           .
                                                                           .
上の文章を拝読して改めて再認識させられたのは次の3点でした。
1)事業においても、隙間を狙うことが重要。
2 他社と差別化する商品を作る。
3)物事を判断する時は、頭の中で考えるだけでなく、現状を見て判断する。

中でも現状を見て、物事を判断するということは、
とても重要だと思っています。
今をときめく中国の次に発展するのが、ベトナムと言われていますが、
二月に約一年ぶりに団体で訪れました。
前回はホーチミンでしたが、今回はいつかは行ってみたいと思っていた
ハノイの町並みも見れて満足しました。

一年前に見たホーチミンの風景はバイクの洪水で、
成長の真っただ中にいることを実感させられました。
また工芸店で見た作品はとても繊細でセンスがあり、普通の国でないことを
感じていました。
この国はかってモンゴル軍の侵攻を受け、
これを撃退した歴史があるそうです。
モンゴルが南宋を支配する前と後にも侵略を受け、
特にモンゴルが南宋を支配下におさめた以降の本格的な侵攻に対しても
撃退したそうです。
ベトナムに昔から知力があった証明でしょう。

さて現代のベトナムですが、資源は何と言っても人的資源でしょう。
平均年齢も28歳だそうです。
ハノイ近郊のタイルを作る工場を見せてもらいましたが、
まだ自動化も環境も進んでいませんでした。
これは当たり前の話で、これから進歩していく段階に立っている所です。
だからこそチャンスがあると考えられます。
技術を先進国から学び、いい技術の先生に巡り合って、
教えてもらっているうちに、成長していくことでしょう。

こういったグローバル社会の一端をみるにつけ、
面白い時代になったというのが実感です。
私は海外に住むなら、温かい所が自分の体質にあっているので
中国なら上海、ベトナムならホーチミンがいいなと思っています。
違った風景を見ることだけでも、自分にとっては刺激になるし、
また飽きが来ません。
コーヒーを飲みながら本を読み、社会探訪するなら、日本でも、上海でも
同じだろうと考えているこの頃です。

日本と中国を往復する生活が出来ればベストだし、
どうせ人生は一回限りだというのが今の心境です。
台湾のテレサテンの歌ではありませんが、「時の流れに身をまかせ」も
悪くはないなと思っています。

ところで「会社拝見」も終盤にさしかっています。
残った企業は「日本軽金属株式会社」、「理研光学工業株式会社」、
「日本オイルシール工業株式会社」となりました。
次回はその「日本軽金属株式会社」を紹介させて頂きます。

「3.コンサイスの字引きの白さ
四日市は昨年、NHKに頼まれて土屋清さんと新宮市に講演に行ったとき
通ったことがある。
汽車の窓から見ると、石油精製装置が林立していて
一大工業都市の観を呈していたあのすばらしい工場を見ると、
石油株の安さがちょっと不思議になるが、
工場の立派さと株価はまた別なのである。
一番大切なことは、供給が需要に追いつくか追いつかないかであって、
その点、石油産業は需給のバランスが逆転してしまった。
私がいわゆる化学産業をいやがるのは、競争が激甚で、
好況が三年とつづかない事業素質を持っているからである。

                                                                           .
4.酸化チタンとは
『その点、酸化チタンはどうだろうな?』
と思いながら、私は石原産業の門をくぐった。
遠くから見ると石原の工場は屋根の上まで薄雪が積んだように
白い粉をふいている。
二十四万坪の敷地は東京近辺なら大工場だが、周囲が大工場ばかりだから、
それほど目立たない。

常務取締役でもあり四日市工場長である堀川正三さんが、
私を案内して工場を見せてくれた。
『従来、この工場では硫化鉱から硫酸をつくっていたのですが、
硫酸を市販するよりも自家消費をしたほうがいいというので、過硫酸石灰と
酸化チタンをつくりはじめました。
なかでも、酸化チタンは需要が非常に伸びて月産二千七百トン、
日本における全生産の五〇%を生産するようになったので、
硫酸は自家生産では間にあわなくなり、現在では逆に外部から買っています』

『酸化チタンというのは、いつごろからつくられはじめたものですか?』
『一九一六年にノルウェーで工業化されたのが最初で、
現在、世界で最大のメーカーとなっているアメリカのナショナル・リード社が
その翌年から手をつけ始めました。
コンサイスの字引に使われているインディアン・ペーパーは、
あんなに薄いのに裏に透き通らないでしょう。
あれは酸化チタンの漂白性と不透明性を利用したものですよ』

『日本で生産されるようになったのは戦後になってからですか?』
『ええ、私の方では社長が早くからこの製品の将来性に目をつけ、
アメリカのガリデン社から技術を導入し、
昭和二十九年から生産をはじめました。
最初は月産千トンでしたが、最近、設備を拡張して、
三千トン近いものにしたのです』

『酸化チタンの需要は、そんなに多いものですか?』
『金属チタンとよく間違えられるのですが、酸化チタンは塗料として
かって亜鉛華が占めた地位に完全にとって代わりつつありますし、
化繊、合成樹脂、ゴム、紙、印刷インキ、絵具、皮革、靴クリーム、
化粧品の顔料としてほとんど使われていないものはないくらいです』

『現在、日本で酸化チタンを作っている会社はいくつありますか?』
『私どもが大手で、ほかに富士チタン、堺化学、帝国化工と合計四社です。
酸化チタンにはR型とA型と二種類あり、R型の方が塗料としてすぐれ、
価格もトン当り十七万円とA型より五万円高いものですが、
そのR型だと私どもが業界の七〇~八〇%を占め、A型も合わせるとまあ、
だいたい半分でしょうね』

『同じ材料を使って同じ工程をかけて価格がそんなにひらいているのなら、
R型ばかりつくった方がよろしいじゃありませんか?』
『でも一度つくった設備ですし、結構、需要も旺盛ですから、
生産をつづけています。
その代り、この次にまたに二千トンの設備にかかる時は
R型をつくることにしています』

『そんなに設備増強をしても、供給過剰になることはないのですか?』
『まずないでしょうね。
現在だってつくる片っ端から売れて行って、
一週間分とストックはございませんよ』

                                                                           .
                                                                           .
                                                                           .
作っても作っても売れる時代があったことをを思い浮かべながら、
上の文章を拝見させて頂いています。
需要があって、供給が需要に追いつくまでが、
企業が最も成長する時期のようです。
翻って、舞台を今をときめく中国に移しても大同小異です。

紅顔の美少年から、水もしたたる美青年になった中国では、
行くたびに風景が変わってきており、成長の変化を感じとることが出来ます。
数年前に貧乏旅行で、桂林に行ったことがあります。
広州の白雲空港から桂林に向かうルートでしたが、
その空港も様変わりしていました。
2月でしたが、ホーチミン空港から出発して、広州の空港に降り立った飛行場は
新しくなっており、ターミナルも広く、さらに拡張工事をしていました。
新しい空港で出会った若い人達の服装は垢抜けしており、
どこの国に来たのかと見間違える感がありました。

また広州では空き時間が利用して、ホテル近くの地下鉄を見てみましたが、
近代化しており、日本の地下鉄と変わりません。
エスカレーターは日立製でしたが、動くスピードが早く設定されているようで
国内より迅速性を感じました。
上海でも一番高いビルが、森ビルによって浦東で建設が進んでいました。
現在、内装工事に入っているとのことで、四百数十メートルあるビルの
最上階あたりにたれこめる雲を見るにつけ、壮観なものでした。

こういった広州と上海の景色を見るにつけ、日本に帰ってからも、
ショックがしばらく収まりませんでした。
日本の将来はどうなるだろうというのは、多くの人が慮ることでしょう。
私はある意味では、日本は時代の最先端を行っているのではないかと
考えています。
栄枯盛衰がこの世のならいですが、中国もいずれ世界最大の経済規模を持つ国に
なるでしょう。
物質的には、中国は豊かさを享受することになることでしょう。
そしてその先には、日本が辿った道を歩むと考えられます。
まだ先の話ですが、高齢化、成熟化を迎えることになります。

この世の中は、バランスをとりながら、また調和をとりながら
進化して行くという見方をすれば、
物質的以外に精神的な豊かさも必要です。
物質的なものと精神的なものは、車の両輪であり、
またシーソーのようなものだと思われます。
この精神的に豊かな文化、竹のようにしなやかな文化は、
日本に残っていると思っているし、
奥座敷にしっかりと鎮座しておかなければならないと思っています。
世の中がどう変わろうと、奥座敷から世の移り変わりを
しっかりと見守っていく必要性があると思っています。

人間のDNAは二重らせん構造になっているようですが、
進歩、進化が、このようにスパイラル構造になっているという見方に立てば、
物質的なものと精神的なものも、結合しながらも
螺旋構造になっているという考え方も出来るのではないかと思っています。
地球が属している銀河系だって渦巻きになっているのですから。

空気が澄みきったモンゴルで見た夜空に輝く星は、とても美しいものでしたが、
宇宙で見る星は、実際はもっとたくさんあるそうです。
それも全体のごく一部だそうです。
ダークマターと言われる光を発することもなく反射もしない暗黒物質により、
こうなっているそうです。
今を生きているこの世の中も、物質的なものと精神的なものがあるとすれば、
経済的な活動は進化の一里塚かも知れません。

次回も石原産業株式会社です。

白の魅力を作りだす企業  ~石原産業株式会社~   
                                                    
「一口に言えば顔料。
女性の肌により添っているお白粉などに不可欠なのが酸化チタン。
ワイシャツの白さ、ポケット辞書の紙の白さ、
ピースの箱のPeaceという字の白さを供給するメーカーは、
現在、成長産業の礎として重要な役割をはたしている。

                                                                           .
前回は黒い商品をつくっている日本カーボンの話を書いたが、
期せずにして今度は逆に白い商品をつくっている
石原産業の話を書くめぐり合わせになってしまった。

石原産業株式会社はその名の示すとおり、
石原広一郎さんの創立にかかる会社で、石原産業の株を持っている人でも、
石原さんの名前を知っているが、何をつくっている会社かは知らない、
という人のほうが多いのではあるまいか。

ご承知の方もあろうが、石原さんは文字どおり波瀾に富んだ人生を
歩んできた人である。
立命館大学を卒業すると、マレー半島へわたってゴム栽培を企てたが失敗し、
のち鉄鉱を掘りあてて財をなした。

三木鶏郎、鮎郎両兄弟のお父さんである繁田保吉氏は
立命館大学時代の石原さんの親友であり、私の姉が女子大時代に
保証人をやってくれた関係もあって、間接的に石原さんの苦心談を
きいたことがある。
山を掘りあてるという仕事は、山師というコトバもあるくらいで、
夢は大きいが、あたるまでがたいへんである。
国へかえっては資金をかきあつめて山にそそぎこむが、
その度にまたすっからかんになる。何度かそれをくりかえして、
もう今度ダネだったら万事休すというドタン場になって
石原さんは山を掘りあてた。
ところが、せっかく掘りあてた山を開発する資金が一文もない。
当時、弁護士であった繁田氏が、台湾銀行の頭取をしていた中川小十郎氏に
手紙を書いた。

その手紙を見て、中川さんがポンと十万円の融通をし、
それが運のつきはじめで、のちの石原コンツェルンができあがったのである。

                                                                           .
1.ある若き調査課長の言葉
しかし、石原さんは実業家としてよりも、南方学塾をつくったり、
戦時中の右翼のスポンサーになった人としてよく知られている。
平凡社の『世界大百科辞典』にも『実業化、国家主義者』と記載されているし、
戦争中は大日本帝国の南方進出に一枚も二枚も買った人であった。
そのために終戦後は公職追放になり、一時鳴りをしずめていたが、
解除後、石原産業の会長兼社長となった。
事業としては戦時中の諸事業を継承したものであるが、
石原産業は昭和二十四年に新設されたものである。

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2.チグハグな話
話はとぶが、昨年の夏であったか、ある証券会社の若い調査課長と
一緒になったことがあった。
まだ事業界のことについてほとんど白紙状態にあった私は、
これからどんな事業が伸びるでしょうね、と聞いた。
合成洗剤や塩化ビニールやオートメ計器の話が出たついでに、
『酸化チタンがよくなります』
という言葉が、その人の口にのぼった。
『へえ、チタンがね?』
と、私はちょっと首をかしげた。
チタンと言えば金属元素で、ひところ、はなやかにおどり出たが、
アメリカへの輸出が途絶えたトタンにベチャンコになり、
その株を買いにまわった有名な株屋が店をたたんでしまった話を聞いている。
『塗料が伸びるでしょう。チタンは塗料に使われるものですから』

あとで考えてみると、私は金属チタンを頭に浮かべ、
相手は酸化チタンのことをしゃべっていたのである。
話がチグハグになったのは、私が金属チタンと酸化チタンの区別も知らず、
両者を混同していたからであるが、
こうした混同は今でもまだまだ広く残っているのではあるまいか。

とこれで、それから間もなくその証券会社では石原産業の推奨をはじめた。
九十円がらみから強引に百三、四十円まで買いあげた。
しかし、自分が株を持っている会社が何をつくっているかを知らない株主たちが
ドッと売り浴びせたので、たちまちもとのもくあみになってしまった。
兜町人士の表現をかりれば、石原産業は『クセの悪い』株なのである。
浮動株主が多いのと、浮動株主たちが酸化チタンと
金属チタンの区別すらつかない人たち ……
つまり私程度の科学知識しか備えていなかったことが主な原因なのであろう。

ところが最近になってから、また石原産業が動き出した。
金度は仕手も別の証券会社で、それも数件の有力会社である。
一月初めに百五円だった株価がエレヴェーターをやりながら、
ついに百五十円台へのせてきた。
百円台の低位株の腰の重さを考えるならば、これは容易ならぬことである。
『酸化チタンが伸びますよ』
といった若い調査課長の言葉を思い出し、
私は鹿児島、宮崎の講演旅行に行ったかえりに、途中、名古屋で飛行機をおり、
四日市にある石原産業の工場へ出かけて行った。」

                                                                           .
                                                                           .
                                                                           .
石原産業株式会社のことはほとんど存じ上げていません。
現在はどんな商品があるのかホームページを見てみました。
営業品目としては次の様なものでした。

1)酸化チタン
     タイペーク(硫酸法A型・R型 塩素法R型)
   タイペークイエロー(レモン・レディッシュ)
2)機能材料
   超微粒子酸化チタン・超微粒子酸化亜鉛・導電性材料・光触媒酸化チタン
   高純度酸化チタン・高純度四塩化チタン・触媒用酸化チタン・
   針状酸化チタン
3)農薬
    除草剤・殺虫剤・殺線虫剤・殺菌剤・植物成長調整剤・生物農薬・展着剤
4)医薬等
   医薬原末・ HVJ-Eベクター
5)化成品、その他
   中和石膏・濃硫酸・薄硫酸・輸入鉱産品・MT酸化鉄

                                                                           .
主力製品の酸化チタン以外に、現在では色々と作っているのですね。
奥歯にもののはさまったような商品もあります。
最近は原材料の価格アップが大きくなっており、企業も大変です。
3/2の日本経済新聞によると、鉄鋼大手は来期の鉄鉱石価格について
前期比六五%引き上げで資源大手と合意済みだそうです。
この大幅な値上げは、今後、自動車等の製品の販売価格アップに
つながってくるもので、各企業の体力をためされる競争となっていきます。

一方で製品の軽量化開発に一層拍車がかかると考えられます。
ハードルが高くなれば高くなるほど、技術は進歩していくでしょうが
国際的な合従連衡も今まで以上に視野に入ってくることが考えられます。

ちなみに主要国際商品の金属と農産物の騰勢は次のようになっています。
1/16の日経より。

主要国際商品の騰落率
%、▲はマイナス
昨年末から14日時点
 1)トウモロコシ 12.4%(16.7%)
 2)銅   10.9%(5.5%)
 3)大豆   8.2%(75.4%)
 4)金    8.0%(31.4%)
 5)砂糖   6.0%(▲7.9%)
 6)アルミ  5.8%(▲14.1%)
 7)プラチナ 3.6%(34.2%)
 8)小麦   3.6%(76.6%)
 9)コーヒー 1.0%(7.9%)
10)原油  ▲1.9%(57.2%)

(注)カッコ内は一昨年末から昨年末までの騰落率

                                                                           .
こうなってくると、年金だけの収入で生活ををされている人の生活も、
楽ではなくなってきます。
一方で年収が増えないと、まわりにまわって、
タクシー会社の売上までに響いてくるので社会全体に窮迫感が広がってきます。
これも時代の流れでしょうか。

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