夢と希望と(虹原太助)

戸田ゼミコラムのアーカイブです。このコラムはすでに連載を終了されています。

2006年04月

五日目。
この日は太原にて観光。
世界遺産の「平遥」を見る。
明の時代に改修を行われたそうだ。
城壁に上がった。周りを一望できた。
それにしても城内は広い。
約5万人が住んでいるそうである。

この平遥も取壊しの話があったそうだが
ある一人の発言で難を逃れたそうだ。
城内を乗物で周回した。
お土産屋さんが多い。
昔風の工芸品が店開きしていた。

次に「僑家大院」に向かった。
大金持ちの大屋敷であった。
敷地も広く、建物は壮観である。
外から見える建物の屋根瓦にも
絵模様が彫ってあり、精細にして雄大だ。

ある建物の中には、お金が全く無いところから
大金持ちになるまでの経緯が一代絵巻風にして
陳列さてていた。

最初の人はタネ銭作りに、内蒙古に行った。
そこで駱駝に人を乗せて、駄賃を稼いだ。
次のその駄賃で友人と豆腐屋を始めた。
そのうち商売も繁盛したが、ほかのことで躓き
挫折した。

しかしもともと才能があったので、また商売繁盛した。
人を良く使い、人をみて任せ、全土に店を展開。
子弟の教育にも熱心で、3代目で全盛をむかえた。
こういった物語でした。
最初の銀行もここで出来たそうだ。

大金持ちになる人には、時代を越えて、
また洋の東西を問わず
共通点があるのだなと思った。

その後、海南航空にて銀川へ向かう。
空港に到着。
夜、黄河を渡る。
暗かったが、初めて黄河を見る。
なんだか童心に戻った気がした。

レストランでイスラム式の料理を食す。
羊肉が中心。鶏肉が1種類でた。
なんでも北方の羊肉はおいしいそうであるが
味がよくわからなかった。

四日目。
今日はここ大同から太原へ向かう予定だ。
途中の「懸空寺」を目指す。
バスから見える風景は相変わらず、
痩せた土地が続いている。

こういった中でも、ガソリンスタンドが建設されている。
既存のガソリンスタンドは、ほとんどペトロチャイナが多い。
「中国人寿保険」の看板も見えた。
周りの家は煉瓦作りである。

「中国人民財産保険」の看板がないか、
顔を見まわしたが見つけられない。
どうも見過したようだ。

やがて「懸空寺」に着いた。
この寺は山の岩壁を利用して作ってあった。
空を懸けるような寺にしようと、創建者の思いが
あったかのように、やや上の方に建立されていた。

それにしても岩壁なので足元がふらついた。
保存状態は良い。
雨が少ないのと、また雨が降っても周りの地形を
上手く利用して、水の侵食による劣化を
防いでいるとの説明があった。

それから日照時間も短いからでもあろうとの話であった。
詩人、杜甫はこの寺を見て、なにも詩を
残さなかったそである。

近くの村では、眉目麗しい人が、そこそこ住んでいる
そうである。
なんでも山で漢方になるものを取って食したり、
温泉があってつかるそうである。
あの林彪の嫁さんもここの出身だったそうだ。

懸空寺から太原に向かう道の脇に
「中国石油化工」のガソリンスタンドが所々
見受けられた。
この日、太原に到着。

三日目。
この日、バスで北京から大同に向かう。
所要時間は約5時間。
途中の北京郊外で、バスの窓から
「万里の長城」を見る。
北京から観光客がたくさん来る有名な場所だ
そうだ。

ほどなく「京長高速道路」に乗る。
車はガラガラである。
見える景色は、草もほとんど生えていない山や
所々に痩せた畑が散在していた。

畑といっても「とうもろころし」か「こうりゃん」か
見分けがつかなかったが、雑穀である。
馬も痩せていた。

それにしても乾燥地帯である。
雨があまり降らないようだ。
飲み水の確保はどうしているのだろうと思った。
そのうち、やっと北魏の都だった大同に着いた。

昼食の時に、先生が「間違っても、先程通ってきた
高速道路の株をかってはいけませんね。」と
話される。
一同、爆笑。

その後、世界遺産の「雲岡石窟」の観光で出かけた。
近くには炭坑の町がある。
そういえば、大同に来る前に石炭を積んだ列車を見た。
車両の数が多く、長い列車だった。
さすがに石炭の産地、山西省である。

「雲岡石窟」ではお釈迦さまの一生をたどったモチーフも
彫られていた。
崖を利用してたくさんの石窟があった。
ただ千年の歳月が経っているので、だいぶん風化している。

水にも侵食されていて、顔もはっきりしない仏像も
あった。
過労死も当時あったそうで、その人たちの像もあった。

二日目。
世界遺産の天壇公園を観光。
公園の中はリタイアーしたおじさん、おばさんが
歌を唄ったり、楽器を弾いたりしていた。
周りに人が集まっていた。

男性は50歳で、女性は40歳で定年になるという説明が
ガイドさんよりあった。
昼食は「開封第一楼」。旨い。

午後からは天安門広場・故宮博物院を観光。
天安門広場では、最近は重たい荷物を持っていたら
チェックされるそうである。
焼身自殺があって以来、警備の目が光っているそうである。

故宮博物院では、入口から離れたラストエンペラーの撮影が
行われた場所を見た。
さらに奥では科挙の最後の関門である殿試が行われた
建物を見る。
合格すると普段は皇帝しか通らない道を最初にして
最後の一回だけ歩いたそうである。

夕食は三全公寓内の「イル・ミリオーネ」。
ここで質問者に答える形で中国株の銘柄が出た。

「ピルキントンガラス」。
「エルドス」。エルドスは5月より発電を開始したそうである。
上海で工場見学することになっている「ニューフォーカス」。
そして「越秀投資」。この広州の不動産会社は1ドルになると
あとは無風状態になるのではないかと話であった。

投資は自己責任でお願いします。

人の一生は旅のようなものだなという思いがあります。
また旅することによって、海の向こうの
料理を食したり、見知らぬ風景を見たりして、
人生に潤いを与えると考えています。

そこで昨年10月に平遥・銀川の旅に参加したので
徒然なるままに書き留めていた旅の綴りを
掲載します。

今回の旅は太原という歴史的な名前に惹かれたのと、
人が行かない所に行きたいという願望があって
今回参加しました。
顔見知りの人も3人おられ
総勢16人の旅となりました。

それでは始めます。
一日目。
10月7日、北京にて合流。
三全公寓内の「種字林」を見学。
昨年の今頃来たときよりも作品が増えていたように
感じられた。
作品には相変わらず重厚感があった。
きめが細かく、また製作に時間がかかったであろう
工芸品も陳列されている。
これらを見ると、工業製品でもやがて世界を席捲する日が
意外と早いだろうなと思った。

夕食は「林一品」。
なんでも先生が香港に居住されていた時のフィリピン人の
コックさんだそうである。
とても美味しかった。
最後に出たスイカは日本のスイカより味がまずかった。
いま台湾から人が来て、これから美味しいスイカ作りに
取組むそうである。

この日は三全公寓に宿泊。
昨年はケルビンスキーホテルだったが
三全公寓に初めて泊まる。
室内も広くて居心地も良かった。

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