夢と希望と(虹原太助)

戸田ゼミコラムのアーカイブです。このコラムはすでに連載を終了されています。

2006年05月

2004年10月に、中国投資考察団の旅に
参加したことがあります。
メインのルートは長江下りでした。

成都からバスで約5時間位かけて重慶に着きました。
その重慶から川下りは始まりましたが、
その重慶で自動車会社を視察したことが
あります。

重慶の町は坂が多く、人家も坂の上に
かなり建っていました。
バスの窓からは重慶大学が見えました。
重慶は日中戦争があった時は
蒋介石が一時、南京から重慶に遷都した所として
記憶があります。

その中国は昔の中国ならず、近代化が著しい国に
変身を遂げました。
車の販売台数も500万台をこえ、車だけでも
世界の5本指にはいっています。

重慶の中心街は、高いビルも建っており、
賑やかな所でした。
訪問した重慶長安汽車は中心街から
すこし離れた所にありました。

この企業を訪れたとき、すぐに工場の敷地に
入れず、長い間、バスの中で待たされました。
やっと入って、応接室に通されて、ビデオを
見せてくれました。
途中、応対してくれた部長さんは、退席されました。

次に工場の中を見学しました。
あまり自動化が進んでいない印象を持ちましたが
時間が経ったら進歩するであろうと思いながら
見学を終えました。
先ほどの部長さんは戻って来ませんでした。

どうも投資家への理解が出来ていないのではないかと
思いつつ、工場を後にしました。
それはともかく、マイカーブームで一番利益を稼ぎだすのは
自動車メーカーなので、乱立するメーカーの中で
どの企業に投資するか、よく研究しないといけないなと
思ったことでした。

数年前はデンウエイに投資して、運良く数倍になってくれた所で
売却し、その後は自動車メーカーにはご無沙汰していました。
今、どの時点で食指を動かそうかと思いに耽っています。

八日目。
この日の午前は企業視察に出かけた。
かの「ニューフォーカス」である。
「上海を勉強する会」と「上海邱友会」の人達と
一緒だった。

ここの董事長さんは、なかなかの人で質問にてきぱきと
答えていた。
今年中に200店舗にするらしい。
先生はこの日に買増しされたそうだ。
工場の中を見たが、たくさんの人が働いていた。

昼からはいつものの中国株投資説明会と先生の
講演会であった。
今回、証券会社の人が2人来ていた。
いつも説明してくれていたFさんが、人事異動で
次回から別の人にバトンタッチするそうである。
その人の紹介と話もあった。

さて先生の講演の内容は次の通りであった。
内容は最近出版された「邱永漢のいちばん賢い中国株」と
ほとんど変わらなかった。
株を買う時は、
配当落ちした後やデマで下がった時が
チャンスである。
また優良銘柄の株価が下がった時もチャンス。
それから今後、マイカー、マイホーム時代になるので
関連銘柄に注目するとよい。

名前が出た銘柄は
中国電信、越秀投資、上海電気
建設銀行、クレーン会社、コンテナ会社
ニューフォーカス。
投資は自己責任でお願いします。

今回の旅も終わりました。
また時間を作って旅に出たいと思っています。

七日目。
そろそろ旅も終わりに近づいた。
この日、中国東方航空にて西安経由で上海へ向かう。
途中の西安の空港で、日本から来た
高校の修学旅行生達と遭遇した。
先生は空港内の本屋さんに入られた。

上海に到着。
一同に安堵感が広がる。
昨日と打って変って、暖かい。
昼食は美味しい麺類のレストランでとった。
その名は「蘭桂坊」。
前日まで肉類が多かったので良かった。
先生と同じテーブルに座ったが、ここしばらく
株の話は出ない。

夕食後、新天地を散策。
近くのアクセサリーの店に先生の案内で入る。
相変わらずセンスのある店である。
先生が以前に買われたという品のいいコーヒーカップを
ある参加者の人が買われていた。

六日目。
今日は銀川の企業視察と観光である。
企業視察に向かうバスの中は
先生と秘書の徐さんと上田尾さん、
名鉄観光さん。それから北京からの全線ガイドさんと
現地のガイドさん。そして考察団の団員16名。
しめて22名だ。

視察先の企業名は「小巨人機床」。
世界的な工作機械のメーカーである山崎マザックの
現地企業である。
会議室で会社の概要説明を受ける。

その後、現場視察に行った。
従業員は20代~30代が主力だそうだ。
採用する時は現地の新卒者をとるそうだ。
ある期間を過ぎると、今度は日本に派遣して
教育を受けさせると聞いた。

そういえば現場を歩いていると、20代の前半と
おぼしき青年が帽子をとって挨拶してくれた。
礼儀正しい。
これも教育の成果であろうと思った。

従業員は一生懸命に働いていた。
目つきも真剣なまざなしだ。
この会社は成果主義で給与もこれに準ずるとの
話であった。

工作機械を作っていたが、重要な部品は日本から
送られてくるそうだ。
天津からまる5日間で到着するそうだ。
なんでも提携先の鋳物のメーカーが銀川にあるそうで
工場もここで立ち上げたらしい。
まだ増設中の建屋もあった。
工場のある道の向こう側には「中国電信」の建屋が見えた。

昼食はレストランでとる。
見ただけでおいしそうだった。
その名は「天都酒店」。
料理のそばには美しい花が添えてあった。
食が進んだ。
銀川にもこういう美味を提供するレストランが
あるとは驚いた。

午後からは西夏等の歴史やこの地形を説明した
展示館を見学。
なんでもこの地方に一時君臨した民族は
チベット地方から来たそうだ。

続いて「西夏王陵」を見学。
長い歳月が経過しているので、この王陵も
原形をとどめていない。
だいぶん風化している。
建物を固めるのに使用した粘土は、黄河から
持ってきたそうだ。
それにしても時の権力者は、洋の東西を問わず
おおきな王陵を残すものだなと思った。

ここはもう寒い風が吹いていた。
乾燥地帯の平地なのに、紅葉が綺麗だった。
遠くの山にはかすかに「万里の長城」が見えた。
西夏の権力者はどんな思いで人生をまっとう
したのであろうか。

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