夢と希望と(虹原太助)

戸田ゼミコラムのアーカイブです。このコラムはすでに連載を終了されています。

2007年02月

前回の続きです。
以下に内容を紹介していきます。
「株はおとなのお猿電車」からの文章です。

「6.投機家と投資家
   長い目で見ると、株の性質は以上のようなものであろう。
   しかも、株価は毎日のように変動するもので、
   全体としても好景気や不景気の影響を受けるので、
   ニ年とか三年とかごとに大きなカーブをえがく。

   また証券市場には投機家たちがまちかまえているし、
   株屋さん自身も自分の損を他人に転嫁しようという心がけにかけて
   決して人後におちないと思われるから、
   一日のうちに株価が三十円も動くようなことが起る。
   ことに今日のように投資信託に三千億円も資金が集まると、
   「不景気の株高」をおこしたり、
   最近のように「オープン相場」をあてこんで
   逆に往復ビンタをくわされることがある。

   一日のうちに、また一月のうちに
   自分の財産がふえたり減ったりするのをみせつけられて、
   ジッとしておられるのは、よほど自身を持った人か、
   修養の積んだ人であろう。
   投資家はいつでも投機家に変り身がきくが、
   株式投資の妙味も実は大きく儲かるかもしれないという
   その投機性にあるといってよい。

 「ミイラのゲンコツ」が一番
   そこで「どうすれば金が儲かるか」という問題になるが、
   これには予想屋もおれば経済雑誌もあり、
   また増田金六さんのように心の持ち方が大事だと説く人もある。

   しかし、この原理も実は非常に簡単で、
   「安い時に買って高い時に売る」というだけのことである。
   「きいているのはそんなことではない、」
   何をいつ買って、いつ売るかということですよ」
   ぐらいなことは私も知っている。

   しかし、それは実は、私も人からききたいことで、
   今日では投資信託の動向や政治情勢や景気の動向から
   ある程度測定することはできるが、
   神ならぬ身だし、いわんや
   相場はこちらが動かしているわけではないから、
   いつも、「低値で買って天井で売る」名人は恐らく
   一万人に一人もいないだろう。

   従って相場に自身のない者は
   これからのびると考えられている自動車とか
   電子工業とか建設業とか石油化学、
   あるいは日本の経済と運命をともにするような鉄鋼業や
   不景気に強い食品株等々の中から自分の好きなものをえらび、
   一度握ったら絶対に離さないという
   「ミイラのゲンコツ」流で行くべきであろう。

   株屋さんや経済雑誌があまりそんなことをすすめないのは、
   もし皆がそんなことをしたら、
   株屋さんも手数料が儲からなくなるし、
   経済雑誌も売れ行きが悪くなるからであろう。

   遊園地におサル電車というのがある。
   子供の夢をのせて軌道の上を走る。
   おサルが動かしているわけではないが、
   おサル電車とよばれている。
   株はオトナの夢をのせて走る。
   儲かったら家を建てようと考えている人もあろうし、
   老後の退職金を自分の手で作っている人もあろう。

   この電車、むかしは白足袋の機関手が動かしていると考えられていたが、
   何のことはない。
   実は白足袋の方も動かしているようなフリをして
   乗っかっているのである。」

株をやる人は一攫千金の夢を持っているし、狙っています。
しかしながら、そう簡単なものでありません。
自分の持っている銘柄が、なかなか上がらないと
辛抱しきれずに、しびれをきらします。
私も修行が足らず、しばしばそうやって来ました。
そういう中にあって、邱先生のコラムに書いてあった
ある成長株が半年ぶりに動きがありました。            
この成長株の会社には、考察団で見に行ったこともあるし、            
経営者の話を聞いていたので、安心感を持っていました。   
また将来性があると考えていました。       
この銘柄には「ミイラのゲンコツ」流でいこうと思っています。            

前回の続きです。
以下に内容を紹介していきます。
「株はおとなのお猿電車」からの文章です。

「5.人工的につくられる景気
   元来、株は景気を反映するものだから、景気がよくなれば、
   株はあがる。
   反対に景気が悪くなれば、株はさがる。
   従って持株の時価総額いくらといっても、
   そもそもそれは壁にえがかれたもので、
   そんな財産はどこにもないようなことになる。
   しかし、人間の心理は株価が下がれば不景気な顔になり、
   それこそ株屋にもよりつかなくなるが、
   反対に高くなると、右を見ても左をみてもニコニコ顔になる。

   それなら誰も損をしていないことになるが、
   そんな時は現金を持っているもの、それを銀行に預けているものが
   相対的に損をしている勘定になるのである。

   しかし、幸か不幸か人は貨幣額で物を考える習慣になっているので、
   株を買わなかった人は儲からなかったと思うだけのことであって、
   損をしたという感じはしない。
   この関係はむろん時々、逆転する。

   そこで人工的に景気をつくることが考えられる。
   五十円払いこんで増資すると、その株に人気がついて株価があがる。
   増資する会社の株ほど人気が集中し、いまのように景気がいい時は、
   増資会社が続出し、来年の増資だけでも三千億という、
   天文学的な数字になってくる。
   経済雑誌の中にはこの数字を見て、
   増資圧迫で株が安くなるだろうと解説しているものがあるが、
   この数字におどかされてはいけない。
   なぜならば、少しその内容に立ち入ってみれば、
   実際にはこの数字よりずっと低いものだからである。

 公定歩合引上げのキキメ
   今日の日本の株式会社の株式は大ざっぱに言って、
   半分は個人の所有だが、あとの半分は
   銀行や保険会社や事業会社などの法人の所有になっている。

   今、かりに、資本金五十億の会社が百億に増資するとする。
   五十億の増資の半分の二十五億は個人所有者から払い込まれるが、
   あとの二十五億は法人が払い込む。
   この法人は、持株の払込金を自己資本の中から払い込む場合もあれば、
   銀行から一時借りる場合もあろうが、
   この払込資金を捻出するために増資をする。
   するとまた、この法人の株を持っている法人が増資をするといった具合に
   連鎖反応をおこして行くが、法人はめぐりめぐって
   お互いの帳簿上は資本金が倍化しているが、
   お互いにもちもちであって、個人が払い込む資金は
   全体の半分にすぎないのである。

   何のことはない、インフレ麻雀のようなもので、
   帳簿上はたしかに、五十億が百億にふえたに違いないが、
   持株の価格がそれほど下がらないから、
   個人株主の株式処分はわずかですみ、
   景気のいい時だと株価に対する圧迫は
   経済評論家の予想を裏切るくらい軽くてすむのである。

   かくてダウ平均は上がり、心配稼業の日銀は毎日自分が
   損でもさせられたように渋い面をしているが、心配することはない、
   現に公定歩合の引上げだけでもちゃんと暴落したではないか。

   昨今の暴落を株屋さんの中にはもっぱら
   大蔵省のせいにしている者もあるが、それは必ずしもあたらない。
   日銀や大蔵省がきっかけをつくったことは事実だが、
   むしろ相場は今、一~三月の大幅増資を織り込みつつあるのだと
   考えるべきである。
   だから一~三月にはこの裏が出ることも十分予想される。
   かくて幾曲折をえがきながら、そのたびに高水準に上げて行くので、
   従来のように定期預金で老後を楽しもうという人たちが
   無関心でいられなくなる。

   実際、経済規模の拡大とインフレの関係をみていると、
   インフレに抵抗する手段をみつけないではいられない。
   その方法は株とか土地を買うとか美術骨董に投資するとか
   いろいろかんがえられるが、もう一つある。

   最近のこと、週刊誌の若い記者が私を経済の専門家と間違えて、
   年末のボーナスの使い方について質問に来たことがあった。
   私は株についてはほとんど知識を持たないが、
   持ち合わせの知識まで出し惜しみするほどケチではないから、
   知っているだけのことを披瀝におよんだ。
   そのあとで今度は私が質問にまわって、
   「ところで、君は経済のことを調べているようだが、
   貯蓄をしているかね?」ときいた。
   「いや」と彼は首をふりながら、
   「月給は一銭残らず使っています」
   「それだよ」と私はすかさず言った。
   「一銭もなければ、インフレは少しもこわくない。
   ダウ平均が五百円になろうと、ゼロかける五百、
   ゼロかける三千は依然としてゼロだからね」」

人間は先々を心配する生物でもあります。
自分の株が上がってくると、俄然、元気が出てくるものですが、
いいことは、そういつまで続かないと思っています。
本当は株の配当金等のように定期収入があるのが
穏やかな心の状態になるのではないかと思っています。

また上の文章にもあるように、やっぱり株は
インフレヘッジすると思います。
こういった不安定さとインフレヘッジの特性を兼ね備えた株に対して、
どこまで耐えられるかが分水嶺だと考えています。

前回の続きです。
「株はおとなのお猿電車」からの抜粋です。

「4.儲かる原理は簡単である
   株が儲かるということは誰でも経験したり、
   見たりきいたりしていることであるが、
   その原理は非常に簡単なものである。
   今仮に額面五十円の株が市場で二百円しているとする。
   二百円はその会社の業績や株式市場の人気を反映したものであるから
   業績や人気の変動によって三百円になることもあれば
   額面を割ることもある。
   しかし、もしその会社が発展性のあるものであり、
   事業を拡大するために増資する場合、
   (現代の日本のように、増資は旧株主に額面で割当てるとすれば)
   1回倍額増資をやれば最初が二百円でも、
   ニ株になった場合の平均コストは百二十五円、
   さらにも一回倍額増資をすれば持株は四株になり、
   平均コストは(125+50)*1/2=87.5
   八十七円五十銭と下がって行く。

   市場におけるその株の値段は景気の好し悪しによって上下するが、
   こちらは増資するたびに五十円へ近づいて行くから、
   額面から上にあればあるほど儲かるという勘定になるのである。

   たとえば一株を千円で買ったとする。
   これを「ミイラのゲンコツ」のように一度握ったら離さないで、
   増資のたびに五十円づつ払い込んでゆくと、
   十回増資後における持株の一株当り単価はいくらとなるであろうか。

       当初買入額   1,000(円)
       第一回増資     525
       第ニ回増資     287
       第三回増資     168
       第四回増資     109
       第五回増資      79
       第六回増資      64
       第七回増資      57
       第八回増資      53.50
       第九回増資      51.50
       第十回増資      50.75

   上の表のように五十円七十五銭と、
   ほとんど額面すれすれになっているのである。
   反対に株数の方は幾何級数的にふえて行くから、
   仮に最初に一株千円の単価で百株買って十回増資すると
   十万2千円四百円大株主になっていることになる。

   もっともその間の払込金は最初の十万円も合わせて               
   五百十九万円六千八百円かかるが、                   
   こんなに事業の成長する会社なら時価はそんなところでウロウロしていない。
   仮に一株百五十円とすると千十六万三千二百円の儲けになり、            
   百円として五百万円になる。                        
   その間に配当金もあり、増資資金の一部として役立つであろう。
   算術は上のとおりにしても、そんな虫のいい話があるものかと            
   思われる人があるかも知れない。

   しかし、戦後からこの方十回以上融資した会社もいくつかあるし、            
   たいていの会社は、今度の好況期における大幅増資も加えると、            
   大体、六、七回はやっている。                        
   なかには、何回増資を繰りかえしてきても、               
   依然三、四百円もしている株があるから、                   
   この算術どころの騒ぎではない。

   多くの上場会社は、皆この算術を、スケールの大きい小さいの
   違いはあるが、実現しているといってよい。
   その利益を国民のあいだでいろいろに
   分け合ったことになるわけである。

   第二に、株がインフレに対して割合に抵抗力を持っていることが、
   改めて認識されたことである。
   銀行預金や生命保険がインフレに対していかに情ないものであるかは、
   戦時中および戦後に体験したとおりである。。
   株でも外地会社はゼロになったものがあるし、
   貿易会社のように現金を動かして利ザヤ稼ぎをする商売は
   大ゲサにいえば建物とノレンしか残らない。

   かと思えば会社そのものはつぶれてしまったのに
   広大な土地が残っているので、
   いまだに株価が七、八百円もする旧飛行機会社のようなものもある。
   従って、株がインフレに強いといっても、
   業種や内容によってまちまちであることはいうまでもない。

   ただ戦後からこの方の物価の動きや給料の上がり方や
   国家予算のふえ方を見てもわかるように、
   個々に見れば生産量の増大や技術革新によって
   逆に安くなったものもあるが、
   全体として物価は少しずつ上昇する傾向にあり、
   しかもこの傾向は今後といえども止まるとは考えられない。
   従って財産を保持して行く方法としては、
   少なくとも物価上昇を上まわる手段をとる必要がある。

 千二百万人の株主
   過去の例もを見ると、土地の値上がり率はダウ平均よりも
   まだはなはだしいし、今後もこの趨勢がとまるとは思われないが、
   しかし、土地は一坪づつ買うことはできない。
   また一方に家がなくて貸間住いをしている人間があるのに
   他方に土地を空地にしておいて値上がりを待つ人がいるということは
   道義的にもあまり感心できない。

   今後、都会周辺で土地問題がきびしい社会問題になれば、
   このままの形ではすまなくなる時代も来るであろう。
   その点、株はこれらの欠点を巧みに避けているばかりでなく、
   選択次第では投資した事業の成長性を楽しむことができるので、
   株に対する認識が一新し、戦前は株主名簿に記載された株主は、
   百二十万人しかいなかったのに、今や千二十万人という
   おびただしい数になった。
   大衆資本主義時代といわれるのも決して誇張ではないのである。

   この数字はむろん延人数であるから九人に一人というわけではないが、
   今後この数字が一層ふえてゆくことが考えられるし、
   またふえてゆく方が富の平均化に役立つし、
   労使の間の矛盾を解決する良策にもなるであろう。
   では株はいいことづくめで、私がここで株屋さんの提灯をもつ文章を
   書かなければならないほど、株は投資家にむくいるものだろうか。

   現にこの数日のように大暴落をしているときは、
   皆ふらふらになって株なんかもたなければよかったと、
   後悔している新入りもあるであろう。
   そのことは、しばらく問わないとして、
   たとえば、株はインフレに強いけれども、
   逆に株高がインフレを促進することはないだろうか。
   私はそれはあると思う。」

よくソニーやホンダ、トヨタの株を数十年前に持っておけば、
今頃、何百倍になっているという話を聞くが、
それはこれらの企業が時流に乗って、
増収・増益になり、株価もこれに反映した結果であろう。
また一方で、セブンイレブンのように増資を繰り返した結果、
持株が急速に増えたこともあろう。
こういった二つのパターンに相乗りすれば、鬼に金棒であろう。
そうは言っても、目利きも必要だし、時間との根比べになってしまう。
授業料を払いながら覚えていくしかない。
一勝九敗でも最後に花を手にすれば、結果は同じだと思っています。
何時かは成長も止まるだろうし、その時、配当金だけで困らなければ、
株価の上げ下げに一喜一憂しなくてもすむ安心感があります。
時間をかけてこういった方向に持っていきたいと考えています。

前回の続きです。
以下に主な内容を紹介していきます。
「株はおとなのお猿電車」からの抜粋です。

「3.やはり株は儲かるものだ
   今日では、社長とか重役とかいっても、
   実はいずれも経営者であって、株は経営者以外の者が
   大部分を占めている。
   従って経営者と呼ばれている人々は
   資本の使用人でもあるのだ。
   こんな両棲動物が現れるようになったのは、
   ほかでもない、資本が大衆化したからである。

   試みに株屋さんの椅子に三十分か一時間坐って見るがいい。
   実にさまざまのお客が出入りすることに気がつく。
   中年のサラリーマン、老教員、待合の仲居らしい女、
   子供連れの奥さん、会社の帰りらしい二十代のサラリーガール、
   すぐお向いの床屋の主人。
   どの一人を見ても、憎むべき資本家といった顔つきはしていない。

 王様と乞食をつなぐエレベーター
   むかしは株といえば、こうしたプロもしくはセミ・プロが
   やるものときまっていた。
   株で儲けた話をきくと、営々と汗水を垂らして働いているのが
   バカらしくなるほど、ボロいものであったが、
   すべて金銭上の取引には「甲の得は乙の損」という
   鉄則が支配しているから、はなばなしく儲けた人の蔭には、
   必ず大損をして苦虫をかみつぶしり、破産や自殺をした人がいる。

   そこで家訓とか遺書とか言われるものの中には
   「他人の借金のハンコを押すな」とか
   「人に金を貸すな」の一ヶ条が並んでいたものである。

   株式市場は、本当は何人もしくは特定少数者では
   まかないきれない資金を調達するための場所であるが、
   株価はその会社の業績を反映し、会社の業績がこれまた
   売上や技術や政治やその他諸々の要素に左右されるので、
   これらの要素の動きにつれて浮沈する。

   ところがこれらの要素に対する各自の判断力が
   必ずしも一定しておらず、一定していても資力に相違があるから、
   必ずしもその人の判断力通りに動くとは限らない。
   そこに思惑の働く余地が生じ、思惑を中心とした株式市場が
   発生したのである。

   だから実株の取引よりも今日の小豆相場に見られるように
   空売買が中心となり、「大番」の牛ちゃんのように、きょう、
   六十五万円(今の金にすれば何億円)儲けたかと思えば、
   明日はスッテンテンになるという、
   王様と乞食の間をエレベーター式に往復する現象が、
   生じたのである。

   もし「株に手を出すな」という家訓が正しいとすれば、
   今日株屋さんに出入する奥さんやサラリーガールは
   みな勘当ものであろう。
   だが、戦後の株界は以前と性格が変わって、「特定銘柄」とか
   「信用銘柄」とかに空売買の妙味が依然残されているとはいえ、
   大勢は実株売買になり、株は投機から投資という方向へ
   大きく比重を移すようになった。

   この傾向を促進するにあずかって力があったのは、
   何だかだと言っても、実は占領軍の方針であり、
   さらにインフレになっても額面五十円の株がそのまま
   五十円の形で発行され、一般大衆の手のとどくところに
   おかれたからであろう。

   これらの好条件を背景にして、株の大衆化が
   意外な速度で進展したのは、ほかでもない、
   第一に株は儲かるものだということが
   現実に証明されたからであった。」

株という花が、これから中国で美しく咲こうとしても
株の原理・原則や群集心理は何も変わりませんね。
美しい花を手に入れようと思ったら、水をやり
肥料をやり、愛情を注ぎ、思いを込めないと
手に入らないようです。
ただ株の世界はゼロサム社会だと思います。
また栄枯盛衰の世界でもあり、生き物でもあり、
この当りをよく理解しておく必要があると、
自分に言い聞かせています。

↑このページのトップヘ