オリンピック産業の本命 ~佐藤工業株式会社~
「一九六四年の東京オリンピックまでは心配なしというのが
土木・建築会社の合言葉。
さしずめ”地面にでたモグラ師”といえるトンネル専門の佐藤工業は
今や土木建築に大活躍である。
そこで株の方はというと ……
1.見合い材料になる会社の株価
佐藤工業株式会社が店頭売買を開始したのは、
一昨三十四年十月十四日であった。
こんにちでこそ建設ブームの脚光を浴びて、だいぶ世間に名を知られてきたが、
なにしろ社名から受ける感じがボーバグとしていて、
いったい、何をつくっている会社なのか見当がつかない。
証券会社のセールスマンのなかにも、
つい最近までこの会社の名前を知らない者が多かったのではあるまいか。
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2.若い娘さんの不安
そういう私自身も、ひょんなきっかけがなければ、
この株に注目することにはならなかっただろう。
それというのは、いつも私の家に遊びにくるある娘さんが、
佐藤工業の若い技術者と見合いをしたのである。
『佐藤工業?』」
耳新しい名前だったので、私はききかえした。
『トンネルやダムをつくっている会社なんです。
株価で言えば、三百三十円くらいです』
とお嬢さんは答えた。
私はすぐに株の新聞を持ち出してきて、その名前をさがした。
ある、ある、店頭のところだが、資本金三億円、株価は親株と新株と二つあって、
だいたい、三百二、三十円前後。
『で、見合いの結果は?』
『土建屋さんというのは、現場の仕事が多いし、
事故で怪我をしたり死亡したりする率が高いんですの
『怪我や事故死は自動車に乗っていてもおこるものだよ。
結婚をする前から未亡人になった時の心配までしていたら、
とても結婚なんかできやしないぞ』
その次にお嬢さんがやってきた時に、私はまたきいた。
『その後の経過は?』
『ううん』とお嬢さんは首をよこにふった。
『あの人ね、一緒に銀座を歩いていても、建物ばかり気をとられて、
うんこれはよく出来ている、これはまずいな、と言って私のことなど
ちっともかまってくれないんですもの。
いまからあんなじゃ、行く先が思いやれれるわ』
『それはいい話じゃないか。
仕事に気をとられている男の方が女に気をとられている男よりも安全だぜ。
君に気をとられている男は、やがてほかの女性にも
気をとられる可能性があると考えるべきだからね』
女房も私も、結婚の対象としてはそういう男をえらぶべきだとさかんにたきつけた。
しかし、若いお嬢さんはやはり建物に夢中になる男よりは
自分に夢中になってくれる男の方がいいらしい。
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3.娘さんが実行したこと
その後、二人の結婚話はどうやらお流れになってしまったが、
私はそういう熱心な技術者を抱えた会社に何となく気をひかれた。
調べてみると、佐藤工業は本社が富山市にあって、
北国の土建会社という感じがしないでもないが、歴史が古く、
なかでもトンネル掘りや地下鉄工事では業界でも定評があるらしい。
私は日本産業界の未来図というものを頭にえがいていて、
今後、産業が発達するにつれて、鉄道や道路、
わけても自動車用の道路をひらくようになるだろう、
その場合、日本は山の多い国だから、
トンネルまたトンネルをひらいて行かなければならない、
この会社などはまだスケールが小さいが、
本州に中央横断道路をつくるようになれば、
今後十年間、おそらく不景気知らずだろう、と自己流の判断をくだした。
その後、株価に注意していると、株価が値を消してきたので、
十一月の末に二百九十円で新株を買って、
つぎにお嬢さんがきた時にそのことを言うと、
『あら、じゃ私も買うわ』
『結婚をやめたのに、どうして株を買うの?』
『結婚をしなかったから、せめて株を買うのよ』
そう言って彼女は佐藤工業の新株を千株買った。
まもなく、株価は二百四、五十円までさがったが、年が明けると、
新旧合併になり、倍額増資が発表されて、株価は三百五、六十円がらみになった。
四月になると、彼女の持株は千株から二千株になり、
株価は二百円前後にわれた。
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4.成長株をじっと待つ
それから数ヶ月間、保合い(小借幅の上り下り)がつづいたが、
夏になると株界に建設株ブームがおこり、佐藤工業の株は、
百七十円を底値として上昇をはじめた。
三百五十円がついた時、私は半分を処分した。
コストは百七十円だから、半分売ればあとの半分はただ勘定である。
ところが株価はさらに上昇を続けて四百円がついた。
たまたま金の必要なことが起こり、いくら何でもという気持もあるので、
あとの半分を四百円で売り払った。
また三百五十円をわったら全部買い戻すつもりだったが、
実際に私が買い戻した値段は四百九十円から五百円のあいだであった。
株価はさらに上昇をつづけ、現在では(十二月十七日)五百七十八円、
新五百六十七円がついている。
途中、一度手離したために、私は千株につき十二万円ばかり
余計に金を払わされたが、お嬢さんの二千株は
コストが二十九万円プラス払込金五万円の三十四万円だから、
なんと時価にして八十万円の評価益が出ているのである。
成長株をじっと持っておれば、いかに大きく報いられるかを物語るものであろう。」
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今回から佐藤工業株式会社が登場して来ます。
先に登場した千代田化工建設株式会社、今回の佐藤工業株式会社、
それから後に出てくる宮地鉄工所という企業は成長株の代表選手だったようです。
成長時代の申し子といった存在だったのでしょう。
上の文章に出てくるように、お嬢さんが意識していようとしていまいと、
銘柄選びを間違えなければ、何もせずじっくりと山のように、動かざるところに
成長株で儲かる極意があるようです。
その銘柄選びですが、こればかりは、山のように定位置で物事を考えずに、
動いてみて、違った風景を見ることでヒントが出てくるようです。
昨年の12月から今年の上半期にかけて、
私用で、大阪と九州をしばしば往復しました。
新幹線から見る景色は、いつもながら、
何とトンネルが多いことかという想いでした。
これだけトンネルが多いと、だんだん疲れてきます。
初めて九州から大阪に来たのは、高校一年の修学旅行でした。
もう30数年前になります。
当時、吹田で万博が開催されていました。
アメリカのパビリオンは人気が高く、月の石が展示してありました。
当時のアメリカの大統領はニクソンさんでした。
IBMの展示館もあり、すごい人の行列でした。
待ち時間が長く、途中、並ぶのを諦めました。
それから、インドの人に、インド館はどこにあるのかと聞かれ、
自分としては話したつもりでしたが、相手はわかったような顔をしておらず、
がっかりしたことを覚えています。
その時の修学旅行では、九州と大阪の間に、まだ新幹線が開通しておらず、
夜行列車で車泊したものです。
中には、列車の通路に寝る人もいました。
修学旅行という貧乏旅行ですから、寝台列車とはいかないものでした。
私は純情な、また真実一路の高校生でしたから、座席で仮眠をとっていましたが、
睡眠不足でした。
その頃は、舟木和夫の「高校三年生」という歌が好きで、
時々、口ずさんでいましたが、もうこの世にはいない親父やお袋から、
人前で歌ったたら恥をかくから歌うなというアドバイスを受け
現在に至っています。
その修学旅行の列車からから見た風景は、トンネルは少なかったように思います。
夜行列車ということで、はっきりしないこともありましたが、
現在の山陽線からしても、事実だったのでしょう。
そのトンネルを作っている企業に、佐藤工業株式会社があるとは
知る由もありませんでした。
次回も続きます。