夢と希望と(虹原太助)

戸田ゼミコラムのアーカイブです。このコラムはすでに連載を終了されています。

2007年09月

「7.トランジスタ・ブームの支柱
産業界のそういう縄張り意識がミツミに幸いしたと言ってよかろう。
ここ数年は空前のトランジスター・ブームで、キャバレーやバーにまで
トランジスター・ガールが流行した。
そのブームのおかけでミツミは国内需要に追われ続けてきたが、
昨年夏のトランジスター対米輸出規制によって、
ようやくブームも落ち着いたので、
パーツの輸出をはじめるようになった。
日本の全メーカーにパーツを供給したように、
今やアメリカのGEやRCA、ドイツのテレフォンケン、
オランダのフィリップスなど全世界の有名なメーカーに
ミツミ製品を供給しはじめている。

完成品の輸出という従来の観念を捨てて、
世界の総合パーツ・メーカーに徹するというのは、
たしかに一つの新しい行き方であって、
ミツミはいち早くそれを実践に移しているわけだ。

こうしたパイオニア的生き方に対しては、
岡焼的な気分も手つだって、疑問視する向きがないではない。
その一つは、事業にはいい時ばかりはないから、
逆境に立ち至った時に、果たしてこの財界のスーベル・バーグは
うまくそれを切り抜けて行けるかどうかということである。

もう一つは、ミツミ電機が現在製造している業種がトランジスタ関係だから、
今後は今までのようなのび方はしまいという見方である。
たしかにトランジスタ・ラジオの伸びは昭和三十九年になっても
三十五年度の一.七~八倍としか予想されていないから、
この見方は単なる杞憂とは言えないのである。

森部さんもこの点は十分認めており、
『これからは今までのような成長の仕方はしないと思います。
したがって、ほかのパーツを手がけるべく、目下、研究中ですが、
その場合には、業界の五〇%はいただきたいと考えています』

五〇%とは、全国生産量の五〇%という意味である。
一〇〇%と欲ばらないのは、競争相手のある方が
刺激になってよろしいからだそうだ。

こうした考えにもとづいて、
ミツミ電機がこの二月から量産に着手するのはマイクロモーターである。
マイクロモーターは現在のところ日本マイクロモーター、
三協精機、東洋時計などによってつくられているが、
この分野へ新しく割りこもうというわけである。
マイクロモーターは、家庭用電気器具はもちろんのこと、
テープレコーダー、電子計算機、はてはカメラなど、
あらゆる分野に無限の需要を持っているものであるから、
これが成功すれば、ミツミ電機にはもう一つ、
月に何億円かの売上げが加わることになろう。

ところで、ミツミ電機の株価は四千九百五十円から最低三千円を付け、
昨今はふたたび四千二百円台に上昇している。
一月末に親株に合併される新株の方は、それが市場に多く流れたせいもあって、
三千八百円台と四百円も下ザヤにある。
前期は五割配をやり、今期は三割配をやって行こうとする会社としては、
必ずしもベラボーな値段とは言えないが、
五百円株としては決して安い値段ではないだろう。

『成長力からいえば、ソニーなみに買われてもよい』
と言う人もあるが、そのためには五十円額面に変更しなければなるまい。
森部さんも、目下それを考慮中ということである。

あれこれ考えあわせると、ここでもう一つ増資という
具体的な材料の欲しいところであるが、
これは年半ばになってからのことであろう。
ただ、企業の若さに惚れる人の眼には、
ミツミ電機が数少ない成長株の中でも
最尖端を行くものとして映るであろうことは間違いない。」

                                                                           .
                                                                           .
                                                                           .
これからの日本企業の生き残り策として、二つの道があると考えられます。
一つはハードウエアであり、もう一つはソフトウエアです。
ハードウエアは日本企業の得意とするもので、従来からの継続を踏襲しつつ、
また温故知新の繰返しという中で、創意工夫していくものです。
ソフトウエアは、世に言うITばかではなく、設計上のノウハウであったり、
デザイン、作物等のノウハウであったりと森羅万象に及ぶものです。
たとえば、日本のお米は外国に比べると美味しいものですが、
その秘訣の解明を探る方法や取組みかたを広めるといったものです。
ただハードウエアとの組み合わせでないと、
ソフトウエア単独では成り立たない所もあり、本当に難しいものです。

最初の製造業というハードウエアですが、製品としての完成品、部品、
また生産財としての工作機械・設備等があり、ミツミ電機はトランジスターで
大きく成長したようですが、世界的に見ると、独壇場ではなかったので、
岐路に立ったようです。
部品メーカーとして、マイクロメーターにも触手を伸ばすことになります。
部品メーカーとして生き残る場合は、どうしても国内のみならず
世界中に輸出して、量を増やし、
量産効果でコストを削減することになります。
ただ弁慶の泣き所として、製品メーカーの生産が落ちてくると、
どうしても、波をもろにかぶることになります。
ビジネスとしてやっている以上、リスクはつきものではありますが。

9/30付けの日本経済新聞を読んでいたら、興味深い記事がありました。
トヨタ自動車系列部品メーカーのデンソーは、
2011年3月期には連結売上高を4兆円の大台に乗せるそうです。
トヨタ向けで培った環境・電子部品を世界の自動車各社に売り込むことで
07年3月期の売上高は3兆6,000億円と過去3年で4割増加。
直近の株式時価総額は3兆8,000億円強と、
米ゼネラル・モーターズ(GM)の2兆4,000億円を上回るそうです。
ここに、部品メーカーの活路があるようです。
系列を超えた合従連衡も視野に入れて、ビジネスを展開していくものです。

同じように9/29付の日経は、炭素繊維についても紹介していました。
重さが鉄の四分の一という炭素繊維では60年代からはじまったが
欧米勢は撤退。
日本は重要特許の大半を押さえ、国内3社が世界シェアの7割を握る。
最大手の東レは21年まで米ボーイングの次世代機向けに
独占供給するそうです。

要するに、海外からの追随を不可能にするだけの技術力を保持することが
大事であり、また粘り強く取り組むことが必要だと思われます。
似て非なるものの追及が重要だということでしょう。
マツダのロータリーエンジンだって、理論はドイツのものですが、
実践は世界でマツダだけが成功したのです。
試行錯誤の連続だったようですが、あきらめないことと、
その執念に、幸運の女神が微笑みを送ったということでしょう。

今の日本企業は、完成品や重要部品の輸出だけでなく、
半導体の設備等の生産財も輸出しており、
今をときめく韓国メーカーのサムソンだって、半導体の設備には、
日本製やドイツ製が使われているかも知れません。
7月に考察団で見に行ったバイオの常茂にも、製品の搬送に
日本製の搬送機が使用されていました。

桧舞台は中国に移りましたが、
このように、縁の下の力持ち的な存在で、日本は世界に、
そして中国の近代化に貢献することが
日本のためになるし、それこそアジアの時代に旋風を起こす先駆けになると
考えます。
勿論、投資家も恩恵を受けるはずです。

次回は日特金属工業株式会社を紹介してみます。

「5.幸運をつかまえる才能
最近における売上高の推移は次のとおり。

       (百万円)          (%)
昭和31年   四・九         一〇〇 
 〃32年  一一・二         二二九
 〃33年  三四・八         七一〇
 〃34年 一、二三五      二、五二〇
 〃35年 二、五〇〇(予想) 五、〇〇〇

三十五年度からは決算を一月七月の二期に分け、
三十四年十一月から三十五年七月までの九ヶ月で、一三億八千六百万円と、
前期一年分を上廻る売上高を示している。

                                                                           .
これに伴う資本の増大も急ピッチで、

          (百万円)        (%)
昭和30年11月    一         一〇〇 
 〃32年 2月     二        二〇〇 
 〃33年 2月     六        六〇〇
 〃34年 2月   一五      一、五〇〇
 〃34年10月   五〇      五、〇〇〇
 〃35年 3月 一〇〇    一〇、〇〇〇
 〃35年 9月 二〇〇    二〇、〇〇〇

という具合に、わずか五年で二百倍の資本金になっている。
こうしたミツミ電機の急激な膨張は、
もとよりトランジスター・ブームにうまく乗ったためである。
その点、森部さんは三十代の少壮実業家としては
まことに好運な男と言うよりほかない。
しかし、好運が目の前にぶらさがっていても、
それをとり逃がす人間が多いことを考えるならば、
それは好運をつかまえる才能と言うべきであろう。

私は昨年十月会社拝見のプランを建てて間もなく、
すぐミツミ電機の工場へ出かけて行った。
その時、森部さんは外遊していて、常務の高橋さんがかわりに応接に出た。

若い人だったせいもあって、
私は無遠慮に開口一番、
『五年後のミツミの資本金はいくらくらいとお考えですか?』
ときいた。そしたら、向うも負けていなくて、
『そうですね。五十億円くらいだと思います』
五十億円と言えば、今の資本金の二十五倍である。
毎年倍額増資を行なっても十六倍だ。
私はいささか毒気を抜かれてしまった。
しかし、そのあとでポリパリコンとIFTの工場を見せてもらって
唸ってしまった。

                                                                           .
6.たった二秒間の浮気
ミツミ電機には約二千人の従業員がいるが、
手数のかかる細かい仕事であるのに、機械力を借りることのできるところは
ほとんど全部オートメ化している。
たとえば、ポリパリコンをつくっているラインは
七秒間隔に次の人のところへ移っていくが、
そのあいだに三つの部品をさしこまなければならないので
それこそ二秒間の浮気しかできない。

IFT工場に至っては製品の良不良まで機械が選別するようになっている。
それらのオートメ装置はすべて自社技術陣の設計にかかるものときけば、
『この技術陣でこのまま計器のご注文承りますとやれますよ』
と自慢されても、黙ってひきさがるよりほかないのである。

のちに森部さんにあった時、
私が資本金五十億円説をむしかえしたら、森部さんは、
『いやあ、私は常々、
世界のパーツ・メーカーになりたいと思っているんですが、
そのためには資本金五十億円くらいの規模にならなければならないんですよ。
高橋が言ったのもおそらくそういう意味だと思います』
と訂正した。

『産業界というものはおかしなもので、
我々と同じ製品をメーカー自身でつくろうと思えば
つくれないことはありません。
しかし、甲のメーカーのつくったパーツでは乙のメーカーは買わないし、
乙のメーカーのつくったパーツでは甲が買わない。
それを我々がつくれば、甲も乙も丙も丁も買ってくれるんです』」

                                                                           .
                                                                           .
                                                                           .
5年で200倍の資本金になったミツミ電機は、売上は予想値も入れて、
4年間で50倍になっています。
この企業のホームページ等を開いて見ると、
資本金は平成19年9月11日現在で、約391億円になっています。
したがって、昭和30年11月の100万円からは、
39,100倍になっています。
まさに驚天動地の数字です。
売上は平成19年3月決算で、連結として2,819億円です。
昭和31年の約500万円からすると、
単純には56,380倍になっています。

成長時代の申し子みたいな存在だったんですね。
もっとも、ここ10年は、売上が横這いになっているようです。
一方、従業員は現在2,660人ですから、当時の約2,000人からは
それほどには増えていません。
外国の持株比率は平成19年3月31日末で、41.2%、
次に金融機関が33.1%、個人が17.2%となっています。

いずれにしても、四畳半の工場から出発して、
押しも押されぬ成長企業になったのは、
ミツミ電機の社長さんだった森部一さんの好運と手腕によるところが大です。
その好運と手腕ですが、次のようなことが考えられます。

 1)自分の得意なものを活かす。森部さんの場合は電気関係が好きだったこと
 2)チャンスを待ち続けたこと。
 3)その間にタネ銭を蓄えたこと。
 4)自分が独立する場合に備えて、自分のパートナーを見つけていたこと。
 5)パートナーは自分と相性がいいこと。
 6)自分のやりたいことと、社会の必要性が合うこと。
 7)時流に乗ること。森部さんの場合は、トランジスターに着目したこと。
 8)社会の役に立つ事業であること。
 9)チャンスを見逃さないこと。それこそチャンスを前髪でつかんだこと。
10)信頼を得ること。
11)製造現場には自動化とオートメーションを進めたこと。
   要するに、冗費を抑えたこと。

12)人間心理、社会心理に通じる努力をしておくこと。

                                                                           .
好運を掴んだ人には、天も味方するようで、
昭和30年代は、森部さんの快進撃が続いた時期だったようです。
次回も続きます。

「トランジスタと言えば、小型時代のニックネーム。
小型なものが出来るには、部品も小型になるのが絶対条件である。
だから部品の小型化に成功したミツミ電機株式会社には、
トランジスタ・ラジオのブームの波が押し寄せている。

                                                                           .
1.奇妙な広告の底にある作戦
いろいろな週刊雑誌に、『一般の方にお売りできないのが残念です』
というミツミ・パーツの広告がでているのを
ごらんになった方がおありだろう。

一般の方にお売りできないものなら、
何も高い金を出して広告をしなくてもよさそうなものであるが、
それをあえてしているのが、ミツミ電機株式会社の行き方である。

そこですこし意地の悪いカンぐりかたをすれば、
第一に、株界のこの新顔はお金が儲かって儲かって仕方がないので、
こんな形で金を使わなければ気がすまないのではないか、
第二に、マスコミの力をちゃんと計算にいれていて、
わざと話題をまき散らそうと狙っているのではないか、ということになる。

右のカングリは、おそらくどちらもまったく的をはずれているとは
言えないであろう。
しかし、ミツミ電機の若い社長の頭のなかには、もう一つ、
ミツミの存在を世間に知られたいという理由があるようである。

                                                                           .
2.よい技術者を多く
それは一口にいえば、
『優秀な技術者を集めたい』ということだろう。
技術革新の世の中では、事業会社は
常に食うか食われるかの生存競争をやっている。
画期的な発想が出現すれば、それこそ一夜にして大会社が
つぶれるようなことが起らないともかぎらない。
ところが、画期的な発明といえどもヤミクモに生まれてくるものではなくて、
古い技術水準の上に一段一段と積みかさねられて行くものである。
つまり、誰がそれを先にやりとげるかということであって、
そういう技術者をうまく抱えこんだものが先勝を制することになるのである。

しかし、そのためには、まず自分の会社が
そういう意欲をもった会社であることを世間に知ってもらわなければならない。
世間がそれを知れば株に人気が出る。
それによって自分の財産が名目上ふえることにもなる。

それだけではない。
株があがれば、成長産業と世間から目され、
若い大学卒の心も大いにうごくにちがいないからである。

                                                                           .
3.国境なしのパスポート(ミツミの合言葉)
ミツミ電気株が東京店頭に公開されたのは昨年の九月一日であった。
その前期の決算の時に四十割という前代未聞の配当をやっており、
新資本金が二億円になったとはいえ、
半期に資本金以上の利益をあげているというので、
小型成長株としての前景気はたいへんなものであった。

公募価格千五百円に対して、公開前に五千円のヤミ値がつき、
店頭へ出てからも最高四千九百五十円がついた。
五十円株とすれば、四百九十五円にすぎないが、
株価的にはどうしても割負けする五百円券として、
これがいかに法外な値段であるかは、
株のベテランならずとも容易に判断がつくだろう。

                                                                           .
4.初めは四畳半の工場
しかし、それよりもさらにおどろくべきことは、ミツミ電機が昭和二十九年に
当時二十八歳であった現社長の森部一さんによって創立され、
三十一年に株式会社の体裁をととのえてからわずか四年のあいだに、
資本金百万円の会社から二億円の会社に展開したことである。
その成長スピードは成長株の雄ソニーをさらに上回るものであり、
ミツミのあの完全オートメのIFT工場を見たら、
これが六年前に資本金二十万円、四畳半ではじまった会社とは
どうしても思えないに違いない。

『五十年前は日立製作所だって四畳半からはじまったのですよ』
と、森部さんは意気軒昂たるものであるが、
まったくそのとおりなんだから、苦笑するよりほかない。

森部一さんは九州工大電気科を出た技術者で、卒業後、
八幡市の安川電機につとめたり、自分でラジオ屋を経営したこともあったが、
十年ほど前に一旗あげようと思って東京へ出てきた。
そして、知人を頼りに、雪ガ谷にあるラジオ部品の町工場で働いた。

ここまでは東京へ出てくる青年たちの誰もがたどるコースであるが、
森部さんは独立の精神が強かったので、現在、ミツミの重役をつとめている
原口高さんや高橋誠悦さんとかたらって、
トランジスタ・ラジオの部品メーカーをはじめた。

最初にソケットをつくっていろいろなメーカーのところへ売り込みに行った。
次に現在、日本の全市場の七〇%を占めているボリバリコンの製作にかかった。
ボリバリコンとは、ボリエチレンでコーティング(皮膜)した
トランジスタ・ラジオ用の小型バリコンである。
要するに小型で容量がよく耐熱耐湿性のある高性能のバリコンである。
森部さんはその実用新案をとり、
製品を各トランジスタ・メーカーにもちこんだ。

しかし『信頼性は誰もがほしい、国境なしのパスポート』
とミツミ電機の下手クソの広告文にあるように、
信頼性をモットーとするミツミ・パーツはやがて各メーカーの信頼を獲得し、
今日では、日立、東芝、松下、三菱、日本電気、ソニー、ビクター、
三洋、スタンダード、八欧、早川、等々、
日本じゅうのトランジスター・メーカーに納入されるようになっている。

ミツミではついで超小型中間周波トランス(IFT)の大量生産に乗り出すべく、
三十四年暮から新工場の建設に着手し、昨年秋にこれを完成した。
こうしたやつき早の増産体制により、現在、ミツミでは
月にボリバリコンを七十万個、IFTを百十万個つくっている。
この数年にかける売上高の伸長率を見れば、
それがいかに画期的スピードであるかわかるであろう。」

                                                                           .
                                                                           .
                                                                           .
今回からミツミ電機株式会社が登場して来ます。
高度成長の旗印を掲げた池田勇人首相が、フランスを訪問した時、
当時の大統領から、トランジスター売込みの商人かと言われたという
エピソードのある、あのトランジスターを製作していた会社です。
このミツミですが、約一年間の株価上昇が約2.6倍になったそうです。

9/13付けの日本経済新聞によると、阿倍首相就任時から9/12までの
日経平均採用225銘柄の騰落率上位(%)は次のようになっています。

1)ミツミ    155.7
2)ガイシ   114.6
3)日製鋼   109.5
4)川崎汽   107.2
5)商船三井 100.4

上位5社の推移です。
まだ直近の情報ですので、読者の皆様方の印象に残っておられると思います。
ミツミ電機はゲーム機向け電子部品の拡大で業績好調。
日本ガイシは環境技術への評価が高いそうです。
新興国の需要増を取り込んで収益拡大の続く海運も
上昇率が顕著な数字になっています。

上の「会社拝見」の文章で考えさせられたことは、
やっぱり、思ったことは、努力すればいつかは実現するというものでした。
ここに出てくるミツミ電機の社長であった森部一さん、
京セラの名誉会長である稲盛和夫さん、松下電器産業の元会長であった
松下幸之助さんをはじめ、
事業を起こして成功している人に共通していることは、
情熱だということだと考えています。
自分に欠けているものがあれば、その道に長けた人材を引っ張ってくれば
大抵は、事は足りるということだと思います。

不思議なことに、情熱に打ち込んでいる人のいる場には、
何かエネルギーが注がれているようで、
ひとつの場を形成しているのではないかと感じることがあります。
この場に生じたベクトルが大きくなって、また螺旋状に上昇していくという
スパイラルアップを繰返しながら、
事業に成功していくという構図になっているのではないかと
思うことがあります。

さて、四年間で資本金が200倍になったミツミ電機は
当時、どんな業績だったのでしょうか。
次回も続きます。

「8.ローマで考えたこと
佐藤工業の社長佐藤欣治さんによると、これは世界共通の現象らしく、
ローマを除いては、アメリカでも、ヨーロッパでも
土建業の事業界におけるランクは決して高いものではないそうだ。

『さすが歴史の古い都だけあって、ここでは土建業者が尊敬されていた。
ローマで尋ねた大きな建設会社の封筒をもってエレベーターにのったら、
ボーイがその会社へ行ったのかときくからそうだと答え、
私は日本のコントラクターのプレジデントだと答えたら、
びっくりして見なおしてくれましたよ』
と佐藤さんは言っていたが、このことを逆に言えば、
日本においても建設業界が事業界の中で
最も企業感覚のおくれた業種であるということであろう。

そこで、佐藤さんは何とかして個人的色彩の強い同族会社から
近代感覚と設備を持った建設会社に体質改善しようと心がけ、
機械設備の拡充につとめると同時に、
昨年、外遊直前に株式の公開にふみきったのであった。
『うちの会社でも株式の公開を不安視する者はあったのですよ。
でも早く上場へもって行くくらいでなくちゃね』

こんにち、建設業界を通じての共通現象は、
工事のマンモス化によって増資また増資の必要に迫られ、
同族間の資金ではもはや限界点に達していることであろう。
そこでモダンなセンスをもった会社はいち早く株式公開にふみきったが、
五十円一株の株券が八倍~十倍とかいった値段で取引されるのを見れば、
他の建設会社だっていつまでも手をこまねいてはいないであろう。
来年度は、この意味で、建設株が紹介され、
花形株となって大活躍する年次だと思う。

                                                                           .
9.佐藤工業の所得倍増計画
ところで、佐藤工業は昭和三十七年でちょうど満百年を迎える古い会社で、
ダムとトンネルを得意とし、戦前は台湾で工事をやったこともあった。
北陸電力の和田川発電所、関西電力の黒部第四発電所、椿原ダム、
成出ダム、電源開発の御母衣発電所、地下鉄の丸ノ内線、
呉羽トンネル、愛知県一号国道、羽田空港滑走路拡張工事、箱根バイパス道路、
日立国道、また建物では浅草新世界ビル、国際電信電話の名古屋報話局、
国立東京第二病院、祖師ヶ谷団地アパート等々、
土木建設の各分野に足跡を残し、本社は富山にあるが、
仕事が全国にまたがってきたために
本社分室は東京に設けられ社長も東京に常駐している。

昨年までの業績の推移は次の通り。

      (百万円)     (%)
 年月    売上高   純益  同率 配当
32・11 五、六〇〇 一〇〇  八四 一五
33・12 六、六五七 一三二  五五 一五
34・12 八、七六一 三三二 一四〇 一五

ここまでならなんら驚くに足らないが、ことし資本金三億円から
六億円に増資した時、佐藤社長はことしの完成工事百億円、
利益金五億円という予算数字を発表した。
ところが、この一二月までに現実に達成した工事は百六十億円、利益は
七億円から八億円という、実に昨年に倍加の業績になったのである。

                                                                           .
10.佐藤との一問一答
『来年度は、大きなことを言うとはやめて、
いちおう二百億円ということにしておきますが、
おそらくことしと同じような形になるだろうと思います』
と佐藤さんは言った。
佐藤工業の所得倍増計画はわずか一年で達成されてしまったのである。

『本当は年内にも、
倍額増資を発表なさりたい計画だったときいておりますが……』
『それがうっかりしておりまして、この前の株主総会の時に
授権資本の枠を拡大しておくのを忘れましてね』

これには大笑いをしてしまった。
おそらく社長自身がこんなのも激しいいきおいで業績が伸びることを
予想していなかったに違いない。

『そうすると、二月の総会で授権資本を拡大して、
三月に増資ということですか?』
『ええ、私は増資をするのに気候のよい時とか
金銭的に余裕のある時期をえらぶ方ですから』
『今度、一二億円になるとして、
その次はどうですか?』
『私はオリンピックまで五十億円という線を考えています。
建設会社としてその程度のスケールはおかしくないと思いますから』

もしそのとおりになるとすれば、佐藤工業は、昭和三十六年からむこう三年間、
毎年、倍額増資をくりかえすことになる。
いま千株持っている人は三年のうちに八千株の株主になるわけだ。
道路予算やビル・ラッシュを頭に入れて考えると、
この程度のスピードは決して大風呂敷ではないのである。

                                                                           .
11.今後の予想は
そこで佐藤工業の株価であるが、常識から言えば、
五百七、八十円台はいかにも高い。
しかし、この十二月期は一割五分配にさらに五分の記念配当をつけた二割配、
つまり増配増資とかさなるし、しかも来年は建設業ブームを満喫するので、
業績に狂いが生じないかぎり、記念配をつづけるという。

あれこれ勘定に入れると、権利落後の大成建設が
四百五十円を維持しているとなれば、当社は四百円の線が考えられる。
とすれば、逆算七百五十円まで買われる性格を持っていることになるから、
年が明ければ六百円台をかためるだろうことは十分予想されることである。」

                                                                           .
                                                                           .
                                                                           .
当時の佐藤工業は、旺盛な資金需要があって、成長株の合言葉である増資で、
進軍ラッパが高らかに鳴り響いたようです。
当時の投資家の満面の笑顔が浮かんできます。
「トンネルの佐藤」で破顔一笑ということだったのでしょう。
されど、いいことはいつまでも続かないようで、
この企業にも、栄枯盛衰の波が押し寄せることになります。
バブル期に不動産事業を拡大したことが裏目に出て、銀行からも
支援を打ち切られ、2002年3月に会社更迭法の適用申請を行い、
経営破綻することになります。

ただトンネル掘削に関しては、トップレベルにあったようで、
世界最長の複線陸上トンネル東北新幹線「八甲田トンネル」を
受注施工しています。
こうして見ると、企業環境が悪化する前兆があるはずだし、
それを見逃さないということと、
数年の一度は持株の見直しが必要だと考えられます。
いつまでも、動かざること山の如しとばかりは言っておられませんね。

それはさておき、東京オリンピックが開催されたのは、
1964年でした。
私が小学校4年生でした。自分の家にもまだテレビがなく、
近所にもテレビのある家が少なく、担任の先生が、
学校でテレビを見せてくれました。
とても感動しました。
東洋の魔女と言われた女子バレーボールの優勝や
体操の活躍、また柔道では神永選手がオランダのヘーシンクに敗れたことや
裸足で走ったエチオピアのアベベ選手の雄姿などに感激しました。
マラソンの円谷選手は銅メダルでしたが、最初に競技場に入ってきた時は、
2位でした。トラックで抜かれ、残念な想いをしたことを覚えています。

東京オリンピックが終わって、電気炊飯器などの家電製品等が
家にも入って来て、周りが変化していくのがわかりました。
あの世に行って、もういないお袋は、当時、電気炊飯器が入るまでは、
朝早くから、薪でご飯を作ってくれたものでした。
冬は手に赤切れをおこしているのを見ると、
子供心にも苦労がわかっていました。
今でも、お袋には、感謝しています。

次回はトランジスターのミツミ電気株式会社を紹介してみます。

5.空前のビル・ラッシュ
ところで、どうして建設株はここ半年間、
こんな大相場を展開したのであろうか。
なかでも佐藤工業のような小型会社が
どうして大成長株の仲間入りをしたのであろうか。

その秘密は、第一は空前のビル・ラッシュが現出したことである。

そして、これは今後もつづくものと見られ、
昭和三十七年度ははっきりしたことは言えないが、
すくなくとも三十六年度は、
三十五年度をしのぐ空前の景気が予想されている。

第二に政府の政策である。
福祉国家のスローガンを実行しようと思えば、
いきおい住宅政策と道路対策に出てくるよりほかない。
ことに道路予算はむこう十年間、六兆円という数字が発表された。
むこう十年間、建設業界に好況を約束したようなものである。
この間、景気に暗い影のさすときがあっても、
政府は公共投資を盛んにして行かなければならないから、
建設業界は、どっちに動いても金が儲かる仕掛けだ。

                                                                           .
6.総悲観説のうら
第三に証券業界の動きである。
証券界は、たとえ事業界に不景気がおとずれたとしても、
株価水準が全面的にさがることを好まない。
したがって昨今のように来年度に不景気が予想されて
総悲観論が支配するようになると、
景気に左右されないで業績の上進する銘柄に投資力を集中するように努力する。
この傾向は本年度半ばからすでに現われており、
それが品薄株の循環買いという形になっているが、
おそらく来年度も、この傾向は一層強くなるであろう。

つまり銘柄別の価格差と入れかわりが激しくなって行くのである。
そうすると、消費関連株とか建設関連株が狙われることになるが、
三杯の飯を六杯食うわけにもいかないから、
なお上進をつづけるであろう建設関連株が狙われることになる。
キチガイ相場はまだ序の幕が始まったばかりにすぎないのである。

                                                                           .
7.土木・建設会社への脱皮
ところで狙われる側の建設株はどうなっているであろうか。
ご承知のように、建設業界には大手五社とよばれている清水、大成、大林、
竹中、鹿島があり、その次に熊谷、戸田、間、銭高、西松、佐藤、藤田、
安藤、日本鋪道、飛島などがある。
これらの会社のあるものについている何とか組という社名からも
連想されるように、土建業者といえば、
第一に江戸時代までかけ戻ってしまうくらい一般に保守的な色彩が強いこと、
第二に利権と関係があって、
政界と腐れ縁があるように見られがちなこと、
第三に他人の金で商売をやるので
証券会社みたいな浮草的な性格をもっていることが、
ただちに頭に浮かんでくる。
したがって、土建屋と言えばいやらしい人間の代表みたいな形で
小説などに出てきたりする。

                                                                           .
                                                                           .
                                                                           .
この佐藤工業は、日本の成長時代に相乗りした典型的な企業だったようです。
特に建設業界は国の公共事業費に強く影響される業界です。
その、国の公共事業費ですが、
平成19年度の公共事業関係費が、20年ぶりに7兆円割れしていることは、
まだ記憶に新しいものです。
なんでも前年比3.5%減の約6兆9500億円だそうです。
インターネットで公共事業費の推移を見てみると、
平成10年度がピークで約14兆円です。
平成19年度の約7兆円は、平成元年のレベルになっています。

また道路事業費ですが、これまた平成10年度の約4.2兆円をピークに
減ってきており、平成19年度が2兆円位とすると
平成元年の水準ということになります。
国の予算執行期限の年度末が近付く月になると、
ダンプが、せわしく道路を走っているのを見かけました。
こういう時代は終わったのだなというのが実感です。
もう日本の成長に寄与すると思われた公共事業費の波及効果は、
あまりないようです。
田舎にも、それなりに舗装道路やトンネルや橋が出来ており、
効率は落ちてくるし、あとは利便性だけだと考えられます。

一方で、隣の成長著しい中国の高速道路の整備ですが、
この10年間で約20倍もの延長となる工事が進んでいるそうです。
1983年を基準(ゼロ)として、少し古いですが2004年度現在で
主要国がどれだけ高速道路の整備をしたかの比較は次のようになっているようです。

中国が+34,200km、アメリカ +9,329km、
フランス 6,155km、ドイツ +3,435km、
そして日本が+3,908km。

中国のスピードはすごいですね。
この勢いは、北京オリンピックが終わっても、当然続くと思われます。
よく言われているように、中国の地図を見ても、内陸部は別にして、
中原はおろか、それ以外の平野部でも、山が少ないですね。
したがってトンネル工事は少ないかも知れませんが、道路工事は当分、
活況を呈すると考えられます。
中国を旅していると、雲南地方や成都でも、バスから道路工事しているのを
よく見かけました。
「車到山 前必有道路」が、名実ともに、これからの中国の前途をを醸し出すと
思っています。

次回も東京オリンピックを控えた佐藤工業の話です。

↑このページのトップヘ