「好況を呼ぶ虹のかけ橋
高速道路といえども、橋なくして川を渡ることはできない。
道路に国が力をそそげば、
当然のことに橋梁事業の重要性は増して来る。
地味な橋つくりの担い手は脚光を浴び始めている。
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1.一変した橋梁事業の性格
昨年八月、建設省から発表された
「新道路整備五箇年計画案」によると、道路整備のために、
今後十年間に総額六兆円を投資することを目途として、
さしあたり、昭和三十六年以降五ヵ年間に
総額二兆三千億円を投資する計画だそうである。
新年度の予算原案が発表されると、兜町はそれを好材料として
土木、建築、道路などの建設株が一せいに値をとばし、
つづいて建設機械株が軒なみ買われることになった。
なにしろ公共投資は一たん決定されると、
景気不景気にかかわらず実行に移されるし、設備投資のように
供給の増大という形をとってはねかえって来ない。
その意味では軍艦や大砲の建造同様、再生産過程から脱落して行くので、
むしろ景気を刺戟する要素として歓迎される。
ことに昨今のように日本経済に低力がついてくると、
この金額はふえて行くことはあっても減って行くことはまず考えられない。
したがって建設および建設関連株が意外な大相場を展開するのは当然であって、
もう少しすればそれが意外ですらなくなってしまうからであろう。
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2.憎まれない橋つくり
ところで、その場合もう一つ見落してならないのは、橋梁株である。
「橋をかける」とか「橋わたしをする」とかいう日本語は、
大体いい意味に使われている。
むかしは弘法大師があちらこちらに橋をかけたし、
いまでは代議士が自分の選挙区に橋をかけている。
どちらも自分の金でかけたわけではないが、
橋をかけて憎まれたということはきいたことがない。
その半面、橋は営利事業ではないから、
ムチャクチャに橋がかけられる可能性もない。
おそらくそのせいであろう。
橋梁会社は戦後十数年、着実な成長をしてきているにもかかわらず、
とにかく人気がつかなかった。
そうした橋梁事業の性格を根本的にかえてしまうのが
「新道路整備五ヵ年計画」だといってよい。
なぜならば、狭い日本の国土を無数の河川が流れており、
道路をつくって橋をかけないでおくわけにはいかないからである。
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3.全国の橋を鉄橋にするには…
現在、日本全国にかかっている橋の大半は木造の橋で、
これを鉄橋やコンクリート橋梁や
いわゆるPS橋梁などの半永久的橋梁にかえるのは当面の急務であるが、
政府や都道府県が今日支出しているスケールの予算でかけなおして行くと、
だいたい百五十年かかるそうである。
いくら薄のろの為政者揃いでも、このジェット機時代に、
まさか百五十年計画で橋をかける悠長なことはしないであろう。
いや、現に名神高速自動車道や首都高速道路や
国有鉄道東海道新幹線を第一弾として、さらに国有縦貫高速自動車道、
東海道新幹線自動車道が続々と決定されている昨今、
橋梁事業の発展増大を従来の観念で律するのは、誤りと言うべきである。
土建屋さんが需要の増大に目をパチクリさせているように、
橋梁屋さんもあれよあれよと思っている現状だが、
おそらくそれではすまなくなる事態が近い将来に来るに違いない。
そういう観点から、私は日本の会社を検討してみた。
現在、日本で橋梁メーカーの大手五社とよばれるのは横河橋梁、
宮地鉄工、松尾橋梁、滝上工業、それに専業ではないが汽車製造の五社である。
汽車製造は車両や工作機械のメーカーでもあるが、
その他はいずれも店頭株であり、
滝上工業は名古屋店頭、松尾は大阪では上場している。
橋梁と名のついたのには、ほかに日本橋梁であるが、
これは鉄塔メーカーと呼んだ方が正しいでろう。」
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「会社拝見」も中間地点を折返した所です。
今回から宮地鉄工所が登場します。
今日の日本では、新規に橋の工事をするのを見聞するのは
少なくなりましたが、
上記に出てくる文章を読むと、当時の臨場感の始まりが伝わってきます。
国の成長期には、道路工事や橋梁工事といったインフラがあり、
それなりに活況を呈しますが、
今はお隣の中国にも、好運を呼ぶ虹がかかり始めた、
そして百花爛漫になってきた状況だと思います。
考察団で南京から揚州に向かう旅で見た揚子江にかかっている橋を
見たことがあります。
大きな橋でしたが、まだまだ数が足りないなという印象を持ちました。
こういった橋が、これから全国に造られていくでしょうから、
それなりに波及効果もあることでしょう。
宮地鉄工も、こういった成長の初期段階で活躍した会社のようです。
この段階で、この企業の将来性を信じて、素直に行動した投資家が
報われたことでしょう。
まず行動しないことには美しい花を手に入れないのですから。
やっぱり、大衆が気付く前に、先に手を動かす人に、
最初の御褒美が与えられるようです。
こうやって御褒美をもらっいく投資家は、
その内に、金銭的に何不自由ない生活を送ることになるでしょう。
金銭的に何も困らなくなるということは、生きて行く上で
大きな安心感が出てくることなので、
それはそれで、人生の大きな目的を達したことになります。
お目出度いことです。
そこから人間としてどう生きたら精神的に幸せになるのでしょうか。
実はこの文章を書く前に、知人のお見舞いに行ってきました。
その人はガンに侵され、肝臓にも達しており
お医者さんからも手の施しがないということで、
自宅でほとんど寝るだけの生活です。
まだ定年を迎えてから一年位しか経っていません。
顔もげっそりと痩せておられ、本人が一番つらいし、
なぐさめの言葉もかけられないし、
かってお受けした御厚誼に感謝を申し上げて自宅を後にしました。
涙がこみ上げてきました。
こういうことを現実にすると、人間の幸せとは何か深く考えさせられます。
人生には、思い出と心の満足感しか残らないと思っています、
次回も続きます。