夢と希望と(虹原太助)

戸田ゼミコラムのアーカイブです。このコラムはすでに連載を終了されています。

2007年11月

「4.既製服の方が良い
ところで樫山が既製服のメーカーとして他のメーカーをグンとひきはなして、
今日の大をなすに至った原因はどこにあるか。
一言で言えば、時代を見るに敏なる樫山社長の
経営者としてのセンスと実行力であろう。
洋服の原料屋である紡績会社が日進月歩している現状に、
仕立屋さんだけが昔ながらの手内職、家内工業の段階に
とどまっていてよいはずがない。
アメリカにおける既製服ブームがそのよい先例であろう。
樫山さんは、
『いまに日本にもレディ・メイドの時代が来る』
と確信し、着々とその手を打って行った。

一番大きな成功は、従来、既成服といえば
場末の安洋服屋で売っていたものを、デパートに納入して、
デパートを利用する一般消費者に普及させたことであろう。
デパートで売っているものなら、と消費者も信用する。
場末と違ってデパートなら納入者側も金の取りっぱぐれがないし、
デパート側も電話一本で不足した物をとりよせることができる。
世はまさにインスタント時代だが、
そうしたせっかちな時代の要求に即応したインスタント洋服というわけだ。

『詳しく分ければ、既成服には三十数種のサイズがありますが、
だいたいは二十サイズぐらいで間に合います。
私どもはイージ・オーダーというのもやっておりますが、
本当のところを申しますと、
レディー・メイドの方がいいのですよ』
『ほお。それはまたどういうわけですか?』
『レディー・メードは私どもの工場で一貫作業でつくっております。
イージー・オーダーの方はいちいち注文があると、
それを関係下請工場でつくらせるわけです。
手間がかかるだけのことで、
特別調子がよいってことでもありませんからね』

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5.今に毛皮の時代がやって来る
従来の既製服メーカーは、
織元のように材料を下請業者にわたしてピンハネをするのを通例としたが、
樫山さんはこれを一つの工場で
大量生産方式でつくる方法はないかと考えた。
そうした構想のもとで始めたのが大阪にある都島工場である。

『以前はこんな工場をつくっても経費倒れになるおそれがありましたが、
昨年あたりからご承知の様な人手不足で、
町工場の賃金も高くなりましたので、
どうやら採算が合うようになりました』
『既製服の時代になったということはわかりますが、
それにしても大した売上ですね』
『ええ、今期の売上はだいたい三十億円、
計上利益は二億七千万円ぐらいになりそうです』

毎年二月末の年一回決算で、資本金は一億円だから、
二七〇~二八〇%の利益率になる。
同じ資本金の商事会社が年に三十回転するのはそれほど不思議ではないが、
商事会社のマージンとして、常識では想像のつかない数字である。
しかし、洋服の仕立賃と服地代の比率を考え、
かりにその半分とか三分の一とかを割り出してみれば、
既製服屋の儲けがいかにバカにならないかわかろう。

『そんなに利益が出て、いったいいくらの配当をなさるおつもりなんですか?』
『これはまだはっきり公表していないんですが、
今度は五割にしようかと考えています。
十割やってやれない決算ではありませんが……』

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6.加工屋さんの天下
『原料屋の業績が悪くて加工屋の業績が良いのは昨今の傾向ですが、
既製服というものはこれからどの程度伸びるものとお考えですか?』
『今までだいたい、このくらいの線と考えていると、
いつもそれをかなりに上廻ってきます。
ごらんのように洋服は、二、三年もすると見違えるようになりますからね。
しかし年三割くらいの成長率だと見ています』
『景気によって売上げが左右されることはありませんか?』
『それはございます。
不景気になると、まず赤ん坊の衣料、次に子供の衣料、
それから婦人用衣服、紳士物はどうしても一番あとまわしです。
ただ最近のように、景気の形が変わり、
賃上闘争などで国民大衆の懐具合がよくなってきますと、
既製服の売上はふえる一方ですね』

『おたくの宣伝パンフレットに婦人用のミンクのコートが出ていますが、
毛皮もお売りになっているのですか?』
『ええ、まだ普及するという段階には至っていませんが、
そのうちに相当流行すると思って今から準備をすすめています
そりゃ一着何十万円では手が出ないと思う方が多いでしょうが、
三年前にパールのコートを三万五千円で売り出して飛ぶように売れたのが、
今では九千円でもふりむく人がありません。
ですから、毛皮だって今にそんなことになりますよ』」

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樫山株式会社の社長さんであった樫山純三さんについて
インターネットで見ていたら、次のように出てきました。

1901年に長野県小諸市に生まれる。
26歳で樫山商店を設立、
46歳でオンワード樫山の母体となる樫山株式会社を設立。
59歳でオンワード牧場を創設。
76歳で樫山奨学財団を設立し、国内外を問わず若き人材の育成に力を入れる。

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これを見て、樫山さんが好きなことをしながら生き、また人生を楽しんで、
教育にも力を注いだ生涯だったように思われます。
樫山さんにとっては、職業は道楽でありレジャーだったかも知れません。
こういった中で、上の文章に出てくるような彼のセンスと実行力は
どうやって上達したのでしょうか。
やっぱり天賦の才ではなくて、何回も失敗しながら
修羅場を踏む中で、身につけていったと考えるのが自然だと思う。
玉も磨かざれば玉にならないようです。
幸運の女神は、努力した人には御褒美を授けるようです。

直観力だって、こういったプロセスを経ながら研ぎ澄まされるものだと
考えられます。
もっとも直観力は男性より女性のほうが優れていると見受けられますが
どうでしょうか。
私は女性の直観力について、高く評価しています。
世の男性も、女性の直観力に意外と助けられているのではないでしょうか。
また女性の方が親思いであり、
人に尽くそうという思いが強いと感じています。
男性は夢を追いかける所があるので、このことを理解し見守る女性には
感謝しなければならないようです。
世の中はうまく出来ています。

さて樫山さんの冴えわたる采配で、成長していった樫山株式会社ですが
樫山さんの目のつけどころは、次のようであったようです。

1.人間心理をよく見ていたこと。
  既製服をデパートで売ることで、購入者の信用を得たこと。
  またデパート側にもメリットを与えたこと。
  結局は与えるものがもらうものだという考えを実践したこと。

2.大量生産方式で省力化に努め、コストメリットを追及したこと。

3.成長時代にあって、大衆の懐が温かくなると、どうなるか
  流れを読んでいたこと。

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まさしく企業は経営者の打つ手で、良くも悪くもなるという事例を
見た思いです。
次回も樫山工業です。

背広で稼ぐ30億円  ~樫山株式会社~   
                                                    
「『たかが洋服屋じゃないか』
とタカをくくってはいけません。
”オンワード”の株価が千円をこしている理由の中には
成長産業の典型がみられます。
消費生活に直結した加工産業に目をつけなければなりません。

1.レディ・メード時代の商法
世の中には、ずいぶんいろんな業種の商売がある。
『この世には三十六行(業種)もあるのに、
何だって小説家なんてのを選んだのでしょうね』
と、よく女房に言われることがあるが、
この場合の三十六とは『数えきれない』とか
『たくさん』とかいう意味である。
そう言えば、孫悟空の七十二変化もいろいろに化けられるということであって
『三十六計逃げるに如しかず』という場合の三十六も
『計略は数々あれど……』という意味であって、
実際に三十六しかないということではない。

しかし、米屋とか呉服屋とかいった種類の商売は、
おそらく三十六で勘定しきれたような時代からすでに
商売の中に入っていた業種であろう。
その後、世の中がだんだん発展し、分業が行われようになると、
商売の種類はますますふえて行った。

われわれのふだん着ているものにしても、
木綿や麻や、高級なところで絹ときまっていたものが、
毛繊や人絹になったかと思ったら、いつの間にか、
石油製品にとってかわれつつある。
したがって紡績会社といっても、
今は近代科学の粋を集めた大規模な化学工業になってしまい、
『女工哀史』は遠い昔の物語になってしまった。

ところが、こうした繊維の革命をよそに、
それを仕立てる仕立屋や洋服屋は相変わらずむかしながらの巻尺を手にとって、
『では一週目に仮縫いをさせていただきに参上しますから』
といった習慣が多い。
近代工業と手内職の共存共栄とでも言ったところであろうか。

こうした風景はつい五,六年前まではきわめて一般的であった。
その後、既製服が巷に溢れはじめ、
つづいてイージー・オーダーがデパートの洋服売場を次第に占領しはじめた。
これは文字どおり時代の趨勢であって、
起こるべき企業が起ってきたまでのことであるが、                      
それがいかに大きな衣料界の革命であるかということは、
まだそれほど広くは認識されていない。

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2.衣料界革命の理由
どうしてかと言うと、第一に消費者の側から見ると、既成品とは、
夜店に並んだ『首っつり』の安物であり、
本当の高級品はオーダー・メードだという観念が
いまだに根強く残っているからである。

第二に既成服屋はだいたい、手内職をすこし組織化して
規模を大きくしただけのもので、企業としては中小企業であり、
しかもタダに近いような低賃銀で頑強に抵抗する内職者と
競争しなければならないので、とうてい、
近代工業になりえないのでなかろうか、と考えられているからである。

事実、既成服がこんなに普及した今日になっても、
小メーカーが乱立しており、それら相互間の競争もなかなか激しい。

しかし、そうしたなかにあっていち早く天下の趨勢を察知し、
紳士用既製服の大企業化に着手し、見事、大成功をおさめたメーカーがある。
オンワードの商標で知られている樫山株式会社である。

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3.二十サイズあるインスタント洋服
オンワードという言葉は『前に』という英語の動詞で、
商品のマークに副詞を使うこと自体が一風かわっている。
競馬狂なら、競馬ウマについているオンワードアゲインなどという名前で
記憶にとどめているであろうが、
これは樫山株式会社の社長樫山純三さんの持馬の名前だ。
『どうしてこういう商標をおつけになったのですか?』
ときくと、樫山さんは、
『讃美歌からヒントを得たものですよ』
『樫山さんはクリスチャンですか?』
『いえ、そうではありませんが、でもオンワードという名前はいいらしく、
先般もアメリカの同業者にどうですかときいたら、
なかなかいいセンスだとほめられました。
社員に訓辞をする時も、クダクダしたことなど言わないでも、
商標のとおりやれ、ですみますから、たいへん便利です』

樫山株式会社は昭和二年、樫山純三さんの個人経営で
樫山商店として大阪で誕生した。
戦争中は衣料統制がおこなわれたので、
日本衣料製品統制株式会社の傘下で例の国民服の製造販売をした。
戦後は、衣料品配給規制が改正になったので、社名を樫山工業と改称、
その製造した衣料を、もう一つの樫山商事で販売することになった。
昭和二十三年に東京支店が設置され、この二つの会社が合併して
現在の樫山株式会社になったのは二十四年六月のことである。」

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樫山株式会社は、現在は株式会社オンワード樫山になっています。
ホームページを一瞥すると、2007年2月期で
資本金が300億79百万円、従業員数が連結で2,614名、
売上高は連結で3,186億90百万円。
したがって一人当たりの売上高は1億22百万円。
衣料品の世界ではなかなかいい数字だと思っています。

紡績は明治時代から富国強兵の外貨獲得の手段として
力が注がれていましたが、
この陰には、若い娘さんや少女たちの悲しい物語があったようです。
ずいぶん前に「ああ野麦峠」という映画が見たことがあります。
飛騨から野麦峠を越えて諏訪に働きに行く少女達の悲惨な生活が
展開されていました。
過酷な労働環境で、少女達の嘆きと悲しみをさそう内容でした。

時代が変わって戦後の高度成長期。
乱立する既製服のメーカーにあって、時代の隙間をかいくぐって、
そして大量生産で大きく伸びてきたのが樫山株式会社だったようです。
いつの時代でも前と同じことをしていると後れをとるし、
取り残されることになります。

現在では、一般品はユニクロに見られるように国内で企画、
デザインしたものを中国で生産することで、価格を抑制していますが、
これとていつまでも中国で生産するということにはならないのではないかと
考えられます。
加工先は安い人件費の所へ移動していきます。
そのうち、現地でデザインして現地で加工するのが主流になるやも知れません。
そうなったら、一般品と高級品の棲み分けが
一層はっきりしてくることでしょう。

こういった中で、当時の樫山株式会社は、どんな秘策を引っさげて
成長していったのでしょうか。
次回も続きます。

「7.業界随一を誇る設計陣
『橋梁というものは公共事業で、予算をしばられるものですから、
たとえば、今つくっている橋梁は、三年前に設計したものです』
『とおっしゃると、今設計しているものは、
三年後の予算にくみいれられるものだということになりますね。
それなら三年後に橋梁への投資がどのくらいの規模になるか
見当がつくのではありませんか』

『細かく拾えば大体の見当はつきます。
ま、ざっとですが、今年は重量にして六万トン、金額にして百億円程度、
これは上部鉄骨だけで、下部も全部あわせると四、五百億円、
来年度は十万トン、百五十億円くらいになると思います』
『そのうちお宅が占める比率はどの程度ですか?』
『従来の実績から行けば、大体十五%です』

『すると、相当に生産設備をひろげなければ間に合わなくなりますね。
新しい工場を建てる構想がおありですか?』
『まあ、さしあたりは工場敷地内にある水路を埋め立てたり、
橋梁の大型化に伴う設備の合理化を行います。
先立つものがたいへんで、いくら資金があっても足りない状態です』

『私もお宅の営業報告書をじっと睨んで、
もうそろそろ増資の時間だと思ったのですが……』
『ええ、そう遠くはありません。
今日明日にも取締役会をひらいてということではありませんが、
今朝も重役が集まって、もうそろそろだねと言ったところですよ』
『兜町の噂では、宮地の資本金が一番小さいから、
倍半の六億円も考えられるということですが、
やはり倍額というところですか?』
『増資しても配当を減らすようなことはしたくありませんから、
慎重にやりたいですね』

増資の幅に対する明確な回答は得られなかったが、
借金関係から睨んで近く倍額増資にふみきるものと考えられる。

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8.造船会社との競争は
『しかし、最近は造船会社が陸上部門へ進出してきて、
相当競争が激しくなっていますが、その点はどうお考えですか?』
『橋梁工事はいずれも入札によって行いますから、
競争が相当激しいことは事実です。
しかし、橋梁は鉄骨と違って、相当、技術も必要ですし、
何よりも入札前の設計が大切ですから、相当の自信を持っています』

『お宅の技術者は何人いますか?』
『全体で百人ほどですが、そのうち、設計関係は三〇人ばかりです。
業界で一番だという自信は持っています』
となかなかの自信である。

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9.自由化と関係ない成長産業
宮地鉄工の売上は前期約十億円で利益は八千六百万円、
売上げの中で占める橋梁の比率は約七〇%、今三月期の売上は約十三億円、
利益が一億円あまりと、相当伸びる見込みである。
橋梁の売上単価はトン当り約十五万円、鉄骨の方は八~十万円だから、
どうしても橋梁の方が採算がよい。
そこで宮地鉄工では今後、橋梁部門に重点をおきその比率を
八〇%程度まであげて行きたい方針だという。

ご承知のように宮地鉄工は総発行株数、
四八〇万株のうち約35%が一般株主になっているが、
品薄の傾向が強く、材料が出はじめると、かなり派手な動きをする。
昨年の増資の時も五百四十円をつけて、三百円にわれたが、
八月には四百五十五円をつけた。
その後、しばらく保合いを続けたが、ここへきて新値をきり、
一月十日には五百五円をつけている。
ここで、増資発表とくれば第一に建設ブームに乗るものとして、
第二に自由化と何ら関係のない成長産業として脚光を浴び、
人気の焦点となることはまず間違いない。

なにしろ、橋というものは従来、『これが橋です』という形をしていた。
真の芸術品は作者を意識させないものだそうであるが、
橋を通る人はあっても橋の作者をきく者はない。
たとえば兜町へ出かけて行く人は何度となく鎧橋を通っているであろうが、
あれが宮地鉄工の施行したものであることを知っている人が
はたして何人いるであろうか。
その点では橋梁メーカーは芸術家と一脈通ずるものを持っている。

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10.道路としての橋
ところが最近では橋の形も次第にかわってきて、
『これが橋です』という意識をあたえない橋、
すなわち川の上につくられた道という具合にかわってきている。
京葉道路に宮地のつくった江戸川大橋などはその一例であろう。
それにしては、ずいぶん値段の高い橋であるが、
橋の形がかわってきたように、橋梁株の株価も変わるべき時期に
立ち至っているのではなかろうか。

従来の考え方からすれば、高値は一応利食いのチャンスであるが、
十年間の業績安泰を保証された橋梁株をここで売るべきではないだろう。
宮地鉄工だけについて言えば、権利落ちの三百五十円は常識的な線だから、
相当の上値が残されていると考えてよい。

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宮地鉄工も鉄骨部門から橋梁部門に経営資源を重点配分することで、
波に乗ったようです。
当時の橋梁の売上単価が150円/KG、
鉄骨は約100円/KGだそうですから
付加価値の高い橋梁部門にシフトするのは理にかなうことです。

付加価値の高い業種ほど利益も大きくなるのは当然なことです。
例えば、自動車ですが、鉄鉱石の輸入価格を仮に30円/KG位とします。
トヨタのレクサス「LS460」で、売価を仮に約800万円としますと、
車両重量が1,940KGだそうですから、
売上単価は約4,100円/KGになります。
単なる鉄鉱石という石ころの輸入価格の約140倍で売れることになります。
ここに付加価値という富が生まれるわけで、原料から完成品になるまでに
製鉄会社や加工部門、板金部門などの中間工程にも富をもたらします。

一方、高付加価値の製品ほど、原材料の値上げに対し、
免疫が強くなることも自然の成り行きです。
原材料の価格が上昇した場合の生産者価格に及ぼす影響度を、
インターネットで見ていましたら、興味深い数字が出てきました。

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輸入鉄鉱石価格が10%上昇した場合の国産品の生産者価格が
上昇する上位10業種(部門)
 1)鉄鋼 0.386%
 2)金属製品 0.070%
 3)その他の輸送機械 0.044%
 4)再生資源回収・加工処理 0.040%
 5)一般機械 0.037%
 6)その他の自動車 0.032%
 7)重電機器 0.025%
 8)乗用車 0.023%
 9)その他の土木機械 0.017%
10)建築及び補修 0.015%

これから見ても、世界のトヨタは儲かるようになっています。
因みに輸入原油価格の影響度は次のようになっています。

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輸入原油価格が10%上昇した場合の国産品の生産者価格が
上昇する上位10業種(部門)
 1)石油製品・石炭製品 4.376%
 2)ガス・熱供給 1.990%
 3)再生資源回収・加工処理 1.401%
 4)電力 0.965%
 5)化学基礎製品 0.764%
 6)鉱業 0.443%
 7)合成樹脂 0.431%
 8)鉄鋼 0.298%
 9)運輸 0.224%
10)化学最終製品 0.214%

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原油についても、付加価値の高い製品ほど影響度が少なくなっています。
ここで、投資家の立場で目を海の向こうの中国に向けた時に、
上の文章に出てくる宮地鉄工のような、十年間の業績安泰を保証された業種は
どこなのでしょうか。
どの業種に旨味があって、かつ将来性があるのでしょうか。
もうすでに目をつけられていると思います。

次回は樫山株式会社です。

「4.橋梁メーカーの横綱
以上の各メーカーは、汽車製造をのぞいて、
いずれも資本金二億円から四億円の小規模な会社である。
ということは、日本では従来公共投資が橋梁メーカーを
この程度の規模でしか存在させないほど
弱体なものであったことを示すものにほかならない。
しかし、それは、今までのことであって、
これからはもちろんそうではないのである。

ではどの橋梁メーカーに白羽の矢を立てるべきであろうか。
実は汽車製造以外の四社のどれを選んでも間違いはないと思ったが、
業績の伸び、技術水準、株価のあり方を考慮した結果、
私は宮地鉄工所を選んだ。
どうしてかというと、橋梁メーカーを極端にしぼって行くと、
横河橋梁と宮地鉄工の二社が残るが、
両者のここ数期の業績を比較すると
下のようになっているからである。(下段参照)

すなわち両者とも好収益会社で、
資産内容も利益率も戦災を免れた横河橋梁の方がすぐれているが、
宮地鉄工は業績が毎期コンスタントに上昇して横河と肩を並べるに至っている。
これは、宮地の経営陣がかなり意欲的に活動していることを意味すると同時に、
急激な膨張による資金需要が旺盛なことを意味する。

                                                                           .
 横河橋梁製作所(資本金三億円)

      (百万円)       (%)
 年月    売上高   純益   同率   配当
33・9  一、一一八  一二四  一二四  二〇
34・3  一、二八六  一三六  一三六  二〇
34・9  一、四一〇  一四三  一四三  二〇
35・3  一、四三四  一三九  一一九  二〇
35・9  一、一五五  一三〇   八六  一八

                                                                           .
 宮地鉄工所(資本金二億四千万円)

      (百万円)       (%)
 年月    売上高   純益   同率   配当
33・9    六八四   七九  二一四  一五
34・3    七二二   八四  二一〇  一八
34・9    七二三   八二  一三七  一五
35・3    八一二   八三  一三八  一八
35・9  一、〇一二   八六   七一  一八

                                                                           .
さらにまた橋梁株に人気が移ってきたこの数週間、
宮地の筋が値頃感から盛んに売ってくるため
株価が横河より下鞘に放置され、
それだけ上値を残していることである。

以上の理由から私は永代橋の向うにある宮地鉄工所へ出かけた。
これまでもずいぶんいろいろな業種の会社を尋ねたが、
橋梁メーカーは初めてである。

                                                                           .
5.売上げの伸びが着実に上昇
資本金が昨年四月、やっと一億二千万円から二億4千万円に
倍加されたばかりだから、
大したスケールではあるまいと思っていたが、
鉄骨専業メーカーとは違って、橋梁は検査が非常に厳しく、
工場内で一度組み立てて検査をパスしてから現地へ運ばれるので、
工場敷地内に実物がそっくりそのまま組み立てられている。
私が行った時も、横河と日立造船と宮地の3社で分譲納入する若戸橋
(若松、戸畑をつなぐ橋、一万トンの大規模なもの)
の仮組立てが行われていたが、
工場といえば、屋根のあるところで仕事をしているのばかり見てきた眼には、
一種異様な感じがした。

『橋梁というのは地味な仕事でございましてね』
と、ことし七四歳になる社長の宮地栄治郎さんは言う。
社長の長男であり現副社長の宮地武夫さんも、
『まあ、中小企業の中くらいのところですかね』
と、笑いながら言った。

                                                                           .
6.力が出た井の中の蛙
『なにしろ我々は井戸の蛙で、
日本経済全体を読んで物を考えるということはできませんが、
それでも自分らの事業をふりかえって見ますと、
三十年から三十五年の五年間に売上げが倍増しています。
むかしは土建屋とか橋梁屋には銀行が金を貸してくれませんでしたが、
この頃は貸してくれるようになりましたからね』

『今までは、なるほど五年に倍増でしたが、
これからはとてもそんなスピードでは間に合わないのじゃありませんか』
『ええ、実は昨年の暮でしたか、
道路公団の総裁にわれわれ主な招待されましてね、
近頃は労務者と技術者の不足が目立ってきたが、
その問題は大丈夫かときかれました。
発注をする側から、そんなことまで心配されるのは今までになかったことです』

『橋梁メーカーとして、お宅が商売がたきと考えているのはどの会社ですか?』
『商売がたきと言うときこえが悪いですから、
商売仲間ということに致しましょう。
やはり横河さんでしょうね』

宮地鉄工所は明治四一年、現社長の宮地栄治郎さんの個人経営に出発し、
昭和六年から現工場所在地で橋梁、鉄骨、鉄塔その他鋼構物の製作を始めた。
戦争中は海軍の管理工場として船舶建造を命ぜられ、
工場設備の一部を長野県の波田に疎開したこともある。
本社は昭和二〇年三月九日の大空襲で灰燼と帰し、
現在の工場も事務所も戦後に新しく建てなおした。
鉄骨を主要事業としている並川工場は戦争時代の名残りで、
現在あまり採算のよくない鉄骨をカバーすることによって成り立っている。

橋梁の方は最初は横河橋梁の仕事の一部を
下請けさせてもらったこともあるが、近年は先にふれたように、
競り合いをするところまで出世してきた。」

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投資家から見たら、銘柄選びは
やっぱり、企業への信頼感と安心感になってしまいます。
毎年、増収増益を繰返すことが安心材料になってしまいます。
上の文章に出てくる社長の宮地栄治郎さんが言われた地味な仕事とは
橋梁事業だけでなく、全ての業種に共通していることでしょう。
毎日が変化なのですから、企業を維持するということは、大変な努力を
必要とします。
外から見ると、単調な連続に見えても、実は大変なことです。
原材料の購入だって、値上げを要求され頭が痛くなっているのですから。
製品や商品に転嫁できればハッピーです。

最近のテレビを見ると、ガソリン価格の値上げが報じられていましたが
これはエネルギーが石油から脱石油に代わって行く過程での事象であり、
脱石油に拍車をかけるものと見ています。
石油の値段が上がれば上がるほど、次世代の水素エネルギーや
バイオエネルギーの本格的登場を助長させるものと考えられます。
世の中はうまく出来ていると思っています。

約100ドルの石油価格の原価が2~3ドルだと
テレビの番組は報じていましたが、何か異常です。
産油国はいづれ自分達に、火の粉が降りかかことが解るようになるでしょう。
現代の文明社会は、このように石油という巨大なエントロピーを
消費する社会でもあります。

またこのことは、石油の効率的な使い方という意味において
自動車の競争力に如実に影響を与えています。
アメリカ市場で燃費の悪いアメリカ車が、燃費のいい日本車に押されていますが
もっともなことです。
石油の時代に最先端の工業力を有する国が、次のエネルギーの時代でも
力を発揮するでしょう。
石炭の時代から石油の時代に変わった時は、
アメリカがその前にすでにトップランナーでした。
ただポスト石油の経済規模ということでは、中国に軍配が上がるでしょう。
今、エネルギーの付加価値を根本的に高める歴史的変曲点が到来しつつあります。

次回も宮地鉄工の紹介です。

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