「4.既製服の方が良い
ところで樫山が既製服のメーカーとして他のメーカーをグンとひきはなして、
今日の大をなすに至った原因はどこにあるか。
一言で言えば、時代を見るに敏なる樫山社長の
経営者としてのセンスと実行力であろう。
洋服の原料屋である紡績会社が日進月歩している現状に、
仕立屋さんだけが昔ながらの手内職、家内工業の段階に
とどまっていてよいはずがない。
アメリカにおける既製服ブームがそのよい先例であろう。
樫山さんは、
『いまに日本にもレディ・メイドの時代が来る』
と確信し、着々とその手を打って行った。
一番大きな成功は、従来、既成服といえば
場末の安洋服屋で売っていたものを、デパートに納入して、
デパートを利用する一般消費者に普及させたことであろう。
デパートで売っているものなら、と消費者も信用する。
場末と違ってデパートなら納入者側も金の取りっぱぐれがないし、
デパート側も電話一本で不足した物をとりよせることができる。
世はまさにインスタント時代だが、
そうしたせっかちな時代の要求に即応したインスタント洋服というわけだ。
『詳しく分ければ、既成服には三十数種のサイズがありますが、
だいたいは二十サイズぐらいで間に合います。
私どもはイージ・オーダーというのもやっておりますが、
本当のところを申しますと、
レディー・メイドの方がいいのですよ』
『ほお。それはまたどういうわけですか?』
『レディー・メードは私どもの工場で一貫作業でつくっております。
イージー・オーダーの方はいちいち注文があると、
それを関係下請工場でつくらせるわけです。
手間がかかるだけのことで、
特別調子がよいってことでもありませんからね』
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5.今に毛皮の時代がやって来る
従来の既製服メーカーは、
織元のように材料を下請業者にわたしてピンハネをするのを通例としたが、
樫山さんはこれを一つの工場で
大量生産方式でつくる方法はないかと考えた。
そうした構想のもとで始めたのが大阪にある都島工場である。
『以前はこんな工場をつくっても経費倒れになるおそれがありましたが、
昨年あたりからご承知の様な人手不足で、
町工場の賃金も高くなりましたので、
どうやら採算が合うようになりました』
『既製服の時代になったということはわかりますが、
それにしても大した売上ですね』
『ええ、今期の売上はだいたい三十億円、
計上利益は二億七千万円ぐらいになりそうです』
毎年二月末の年一回決算で、資本金は一億円だから、
二七〇~二八〇%の利益率になる。
同じ資本金の商事会社が年に三十回転するのはそれほど不思議ではないが、
商事会社のマージンとして、常識では想像のつかない数字である。
しかし、洋服の仕立賃と服地代の比率を考え、
かりにその半分とか三分の一とかを割り出してみれば、
既製服屋の儲けがいかにバカにならないかわかろう。
『そんなに利益が出て、いったいいくらの配当をなさるおつもりなんですか?』
『これはまだはっきり公表していないんですが、
今度は五割にしようかと考えています。
十割やってやれない決算ではありませんが……』
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6.加工屋さんの天下
『原料屋の業績が悪くて加工屋の業績が良いのは昨今の傾向ですが、
既製服というものはこれからどの程度伸びるものとお考えですか?』
『今までだいたい、このくらいの線と考えていると、
いつもそれをかなりに上廻ってきます。
ごらんのように洋服は、二、三年もすると見違えるようになりますからね。
しかし年三割くらいの成長率だと見ています』
『景気によって売上げが左右されることはありませんか?』
『それはございます。
不景気になると、まず赤ん坊の衣料、次に子供の衣料、
それから婦人用衣服、紳士物はどうしても一番あとまわしです。
ただ最近のように、景気の形が変わり、
賃上闘争などで国民大衆の懐具合がよくなってきますと、
既製服の売上はふえる一方ですね』
『おたくの宣伝パンフレットに婦人用のミンクのコートが出ていますが、
毛皮もお売りになっているのですか?』
『ええ、まだ普及するという段階には至っていませんが、
そのうちに相当流行すると思って今から準備をすすめています
そりゃ一着何十万円では手が出ないと思う方が多いでしょうが、
三年前にパールのコートを三万五千円で売り出して飛ぶように売れたのが、
今では九千円でもふりむく人がありません。
ですから、毛皮だって今にそんなことになりますよ』」
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樫山株式会社の社長さんであった樫山純三さんについて
インターネットで見ていたら、次のように出てきました。
1901年に長野県小諸市に生まれる。
26歳で樫山商店を設立、
46歳でオンワード樫山の母体となる樫山株式会社を設立。
59歳でオンワード牧場を創設。
76歳で樫山奨学財団を設立し、国内外を問わず若き人材の育成に力を入れる。
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これを見て、樫山さんが好きなことをしながら生き、また人生を楽しんで、
教育にも力を注いだ生涯だったように思われます。
樫山さんにとっては、職業は道楽でありレジャーだったかも知れません。
こういった中で、上の文章に出てくるような彼のセンスと実行力は
どうやって上達したのでしょうか。
やっぱり天賦の才ではなくて、何回も失敗しながら
修羅場を踏む中で、身につけていったと考えるのが自然だと思う。
玉も磨かざれば玉にならないようです。
幸運の女神は、努力した人には御褒美を授けるようです。
直観力だって、こういったプロセスを経ながら研ぎ澄まされるものだと
考えられます。
もっとも直観力は男性より女性のほうが優れていると見受けられますが
どうでしょうか。
私は女性の直観力について、高く評価しています。
世の男性も、女性の直観力に意外と助けられているのではないでしょうか。
また女性の方が親思いであり、
人に尽くそうという思いが強いと感じています。
男性は夢を追いかける所があるので、このことを理解し見守る女性には
感謝しなければならないようです。
世の中はうまく出来ています。
さて樫山さんの冴えわたる采配で、成長していった樫山株式会社ですが
樫山さんの目のつけどころは、次のようであったようです。
1.人間心理をよく見ていたこと。
既製服をデパートで売ることで、購入者の信用を得たこと。
またデパート側にもメリットを与えたこと。
結局は与えるものがもらうものだという考えを実践したこと。
2.大量生産方式で省力化に努め、コストメリットを追及したこと。
3.成長時代にあって、大衆の懐が温かくなると、どうなるか
流れを読んでいたこと。
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まさしく企業は経営者の打つ手で、良くも悪くもなるという事例を
見た思いです。
次回も樫山工業です。