夢と希望と(虹原太助)

戸田ゼミコラムのアーカイブです。このコラムはすでに連載を終了されています。

2007年12月

日本を被う電線の網  ~日立電線株式会社~   
                                                    
「日本の風景にかくべからざるものは山水だが、
次に電柱と電線であると言える。
電線はビルの中に網を張り、地下を無限に延びていく。
電話がふえれば、通信用ケーブルの需要がふえる。
電線の供給が需要に追いつかないとメーカーは嬉しい悲鳴を上げている。

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電線と言えば、誰でも電信柱の上を走っているあの電線を頭にうかべる。
人間の通行のためにつくられたものが道路だとすれば、
電線はさしずめ電流のためにつくられた道路ということになろう。

人間の通る道路もむかしはこんにちのような自動車の洪水を
予想していなかった。
だから道幅はせまいし、せっかく舗装をしても見かけだおしで、
交通量が増大すると、たちまちもとのデコボコ道に戻ってしまう。
そこで道路の抜本的な建設が政治問題となり、
今年の予算は、一名道路予算と呼ばれるくらい、
道路の改修新設が関心の中心になっている。

『電流の道路』である電線についても、同じようなことが言える。
明治時代に日本にはじめて電燈がひかれるようになった時、
電流の道路をなるべく安上がりに仕上げるために、
日本人は電信柱を使って送電する方法をえらんだ。
貧乏国が文明の利機を駆使するためにえらんだ、
ホンの間に合わせの手段であった。

ところが、何事もはじめが大切であるというたとえどおり、
地上送電はついに日本全国に定着してしまった。
安上がりなことは安上がりだが、電信柱は交通妨害だし、
街の美観を害するし、何よりも台風と時は停電をおこしがちである。
いっそ先進諸国にならって地下送電にきりかえればよいが、
金のかかることはなるべくやらないでおこうという社会風潮だから、
ホンの間に合わせにすぎなかった電信柱を、
コンクリート柱に変える時代になり、おかげでセメントの二次製品である
コンクリートやヒューム管の会社の株価があのとおりの高値である。

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1.電流の世界もラッシュ時代
一方、家庭電化の普及によって、電線は人体における毛細血管のように
家々にくまなく張りめぐらされ、他方、産業の発展によって
動力の利用はますますふえてきているので、
これに電力を送る肝心の大動脈が硬化を起こしかねまじきいきおいである。
そこで電線の開発を進める一方、電力十ヵ年計画によれば、
従来十五万ボルトで送電されていたのを
四十万ボルトにかえようという動きも出てきた。
電圧を高くすれば、それだけ送電途中におけるロスを
防ぐことができるからである。

もしそういうことになれば、というよりもそうなることは
早い遅いの違いがあるだけと言った方が正しいが、
東京や大阪を中心とする送電線はやがて四十万ボルトにかわるだろうし、
さらに時差による電力使用量のデコボコを全国的に調整するようになれば、
それが全国に及ぶようになるだろう。
この観点に立てば、従来とかく、災害でも起こらないかぎりは
派手な動きを見せなかった電線株にも、静かなブームが起こりつつある、
と見ることができるのである。

もっとも、そうした抜本的な送電計画を勘定に入れないでも、
家庭電化とビル・ブームと設備投資と電電公社の拡充計画によって、年々歳々、
電線の需要は確実に延びており、今後も相当な伸びが約束されている。

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2.一本立ちの日立の息子
現在、日本でこうした『電流の道路』を製造している
いわゆる電線メーカーの大手は、古河電工、住友電工、日立電線、藤倉電線、
大日電線、昭和電線電纜、日本電線の七社である。
この順序は実は売上高の多い順序でもあって、時に大日電線と
昭和電線電纜の売上が入れかわったり、日本電線が川崎駅前の工場敷地問題で
投機の対象となることを除けば、七社とも株価は至って地味な動きしかしない。
ただ七社をこうして並べて見て、ちょっと意外に思うのは、
昨年十二月に店頭へ初公開されたばかりの日立電線が
第三位に位していることであろう。

『うちの会社は日立製作から独立して日が浅いものですから、
藤倉さんよりも生産高が多いと言っても、
へえ、そんなものですかと驚く人が多いんですよ』
と、私を日立へ案内してくれた経理部副部長の大貫保雄さんは説明してくれた。

日立電線はもともと日立製作所の電線部門で、
同社としても最も力を入れた部門である。日立の現社長倉田主悦さんも、
かって電線部長をつとめたことがあったそうだ。
その電線部門が独立して日立電線株式会社になったのが、
昭和三十一年十月。
資本金五億円、全額日立製作出資という形で出発した。
したがって人事も日立人事で、会長は倉田さんが兼任し、
現社長の松浦孝義さんは前の日立製作の副社長、
現に日立製作の取締役を兼任している。

こうした人事を見る限り、日立電線は日立製作の出店にすぎないが、
親のもとで育った息子が独立して自分のソロバンで生きていく方が、
いつまでもオヤジの家でお仕着せをもらっているよりも
如何によくなるかを如実に示す模範例なのである。

これは大会社の経理出身幹部だった人としては珍しく
現社長の松浦さんが非常な積極論者だったからであるが、もう一つには、
オヤジのバッグがよろしくて、積極経営を推進しても
製品をオヤジが買ってくれるという安心感があったからでもあろう。
現に、増産体制の整った今日でも、
全製品の三割は日立製作所に納入しているのである。」

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今回から日立電線株式会社が始まります。
日立製作所のテレビコマーシャルではありませんが
日立に多くのグループ企業があるのは知っていますが、
日立電線株式会社のことはあまり知りませんでした。
例によってインターネットで会社概要を見てみると
次のように紹介されています。

1)設立年月     1956年4月
2)営業開始年月 1956年10月

3)取扱商品
     a)送電線、配電用ケーブルなど電線
     b)光ファイバーケーブル、メタル通信ケーブル
     c)イーサネットスイッチ(Apresiaシリーズ)
     d)メトロ伝送装置(GMX, eWAVEシリーズ)
     e)VoIP製品(ワイヤレスIP電話機、IP-PBX)
     f)放送・通信用アンテナ
     g)化合物半導体など半導体材料
     h)ブレーキホースなど自動車部品
     i)銅管、銅条、電気用伸銅品など銅加工品
     j)各種センサー

4)資本金  259億4,801万円

5)2007年3月期決算
     a)売上高  連結:544,244百万円
           単独:325,091百万円
     b)経常利益 連結: 20,449百万円
           単独: 10,590百万円
     c)従業員数 連結: 15,100人
           単独:  4,076人

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日立電線株式会社は日立金属・日立化成工業とともに、
日立御三家と呼ばれているそうです。
最近は建設機械である日立建機の業績が良く、貢献しているという記事を
見たことがあります。

送電の方法としては、送電の電信柱による地上送電が一般的ですが
昨今は最初から電信柱をなくした地下送電のある住宅街も見られます。
やはり美観を害するということでしょうか。
それでも一部の地域であって、大都市の大きなビルはともかく
ビル近くの人家になると、電信柱が立っています。
日立電線はその名の通り、電線から出発した会社のようですが、
取扱商品も光ファイバーケーブルなどにも進出しているようで
多様化しています。

技術は、よく次のようなことを満足すれば、
最後まで商品・製品として残ると言われています。

1)シンプルであること。
2)理想的であること。
3)理論的であること。

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また、一つの商品は用途に応じて、派生しながら進歩するという
傾向があります。
例えば電池一つにしても、家庭用に使われる電池と自動車用の電池では
使い方が違いますが、それぞれに大なり小なりに進化していくものであります。
このように企業の持つ強みを生かしながら、
成長期は親会社から分離したグループ会社が出来てきました。
一方では集中と選択ということで、取捨選択が行われる時代になりました

雲が流れ、水が流れるように
時代は企業を巻き込みながら変化していっています。
このことは、GDPにも変化の数字が現れています。
ご承知のように、先般の内閣府がまとめた日本の国内総生産が
世界に占める割合は、円安の影響もあって名目で9.1%だそうです。
額は4兆3755億ドル(1ドル=116円換算で約508兆8707億円)。
ピークはバブル経済末期の6年に17・9%。
これに対して米国の比率は27・2%、
EU(欧州連合)15カ国は28・3%。

では経済成長を続ける中国はというと、2006(18)年の名目GDPは、
2兆6447億ドルとなり世界に占める割合は
前年より0・5ポイント上昇して5・5%。
中国が今後も年13%程度の成長を続けると、
日本が2%程度の成長を続けたとしても、
平成23年には中国に抜かれてしまうということだそうです。
以上は内閣府のまとめたネットからの数字でした。

これによると4年後に東アジアの主役が交代することになります。
時の勢いにはかないません。
現状を見て、投資家も対応していかねばなりません。

こういったことで、今年も一年が終わりました。
では皆様方、良い年をお迎え下さい。

「8.ジャーマンとの提携
チヨダ製品に世界でも有名なジャーマンの商標がついているのは、
この技術提携によるものであり、現在でもゼネスコ社は
当社株の約二〇%を所有している。

この技術提携によって、チヨダは他のメーカーに先んじて
すぐれた機械靴を製造するようになったが、時勢がそこまで来ていないのに、
一挙にアメリカ式の販売方法をとろうとしたので、
ついに経営困難におちいり、一億五千万円の不渡りを出した。
それが新経営陣の努力により年々業績が回復し、
昨年度はついに年間売上げ十億円を突破するに至ったのである。

『昨年下半期の業績はどうなっていますか?』
と私がきくと、
『目下集計中ですが、売上げは大体、六億4千万円、
計上利益は、銀行の負債二千四百万円をかえしましたので、
千四百万円くらいになるんじゃないかと思います』

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9.復配の可能性は
『すると復配しようと思えば、できないこともないわけですね』
『ですが、まだ原料屋の負債が二千万円残っていますから、
ちょっと見合わせるべきでしょうね』
『今期の売上げはどのくらいを見込んでいますか』
『例年だと前期並みですが、まあ、
前期の二割増の七億七、八千万円を達成しようと皆でガンバっています』

『すると、今期は借金を完済した上に
一割程度の復配はできる態勢にはなったわけですね』
『さあ、それは社長にきいていただかないと
ハッキリした数字はわかりませんが、創業以来三十六年たって
ようやく前途に陽が射してきたような感じです』

『今期が七億円台としたら、
需要期になる来期は九億円台ということですか?』
『一応、それを目標にしています』
『生産能力の方は追いついてゆくのですか?』
『あとで工場を見ていただければわかりますが、私どもの工場は
アメリカ、イギリス、イタリーの各国の機械が入っています。
非常に能率のよい機械もあるのですが、能率の悪いものもあって、
現在のところ能率の悪い機械に頭をおさえられています。
そこで、この三月に社長が技術者を連れて欧米の機械工場を視察してまわり、
来春、松戸に敷地一万坪、建物二千坪の工場を建て、
最も近代的な設備を持った一貫工場にする計画を立てています』

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10.模範的な労使関係
『すると、すぐに増資という形ではないわけですね』
『ええ、増資の問題はもう少し先になりましょう』
『靴の生産量が消費量を追いこすような心配はありませんか?』
『その心配だけはなくなってきたようです。
昨年の秋から暮にかけては、連日、夜業につぐ夜業で、しまいに従業員の方が
悲鳴をあげて、超過勤務をもらうよりも休息がほしいと言っていました』

『従業員の賃金はいい方ですか?』
『同業社中、一番だと思います。たとえば昨年、中学を出て入社した者でも
ボーナスに一万五千円はもらっています。
ことしはどこも人手不足、募集人員に充たない会社が多かったようですが、
私どもでは試験をして落としました。
住み心地の良い会社だという評判が
口から口へと伝わったのではないかと思います』

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11.自慢できる労働協約
新潟県に疎開していたころからチヨダの労使関係は模範的なものとされ、
現在の労働金庫の原案は、当時のチヨダ労組の専従者によって
起草されたものだという。
『工場もごらんのとおり古い建物で、
何ひとつ自慢できるものはございませんが、ただ一つ、
労使間の協定だけは誰に見せても恥かしくないものだと思っています』

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12.ノットを増す連合艦隊
なるほどそう言われるだけあって、葛飾区の高砂町にある工場へ行って見ると、
中で働いている人々は今までどこの工場でも見たことがないほど
仕事欲に輝いている。
こういう従業員を持つようになったのは、おそらく社長や工場長が
偉かったからであろうが、同時に、こういう従業員にかこまれた経営者は
仕合せであろうと言えよう。

樫山オンワードの工場を見て既製服に対する考えを改めたように、
チヨダ・シューズの工場を見て、私は機械靴に対する認識をあらたにした。
今のところチヨダの工場は連合艦隊が六ノットの老朽船に
スピードを合わせて走っているような感じだが、
企業素質もよいし、消費景気と人手不足を背景として、
今後、今までは想像もできなかったような伸び方をする可能性を持っている。
ことに新工場が完成すれば前途は一層明るいものとなるであろう。

こうした業績の好転を反映して昭和三十三年に最低十六円をつけた株価は、
昨年十二月に百円台にのせ、昨今はさらに上伸して、
一月二十七日には百七十八円をつけた。
復配前の会社としては必ずしも安い株価とは言えないが、
まだ一億5千万円の小資本であり、業績が本格的に上進体制に入れば、
さらに一段と買い進まれることになろう。
当社の五ヶ年計画によれば、昭和四十年度は年産三百万足、
売上高四十億円が目標とされている。
はたしてそのとおりになるかどうかは経営者の力量如何によるが、
何年かたってもう一度この記事が皆さんの目にふれることがあったら、
『あんな時代もあった』
と不思議がられるほどチヨダの株価が一変しているに違いないと
私は考えている。                                                                           

                                                                           .
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                                                                           .
将来への展望が開かれ、また人にも恵まれて、市場の需要があれば
企業は伸びるものだという事例を見たようです。
靴という製品にも、需要と供給という生活文化とムリ・ムダ・ムラの解消という
企業文化が融合して成り立っていることがわかります。

靴にも人間に合わせて長い歴史があったように、
経済にも人間の生活と密接な関係がありました。
一般的に言われている経済成長の先行指標とされる自動車の生産・販売台数と
住宅着工ですが、住宅融資のことでアメリカのサブプライムローンの余波が
まだまだくすぶり続けています。

12月23日の日本経済新聞によると、サブプライムローンで
米欧日の金融機関の損失はすでに十兆円規模に達するという記事がありました。
私に言わせると数百兆円の損失があっても、
先進国間の戦争がないことを考えると安いものです。
命あっての経済です。
紙幣は極論すると、いくらでも印刷出来ますが、大事なことは
実体としての工業力があるかということでしょう。

よく言われているように、
アメリカはすでに物作りをあらかた止めてしまっています。
これにも関わらず、圧倒的な軍事力は維持しようとするのでしょうから
打ち出の小槌となる資金をどこからか捻出しなければなりません。
今まではあらゆる手段を講じて、例えば高金利、株高という手で
アメリカ国内に投資機会を開いて、人為的に海外から資金が入るように
仕向けていました。
また自由化、国際化という金看板でもって、長い時間をかけて、
風通しがいいような環境に持って来ました。
今やアメリカの軍事力を支える裏付けとなるものは工業力ではなく
金融力になった観があります。

この金融力というソフトですが、ドルの信認はまだ小康状態を保っていますが、
結局はアメリカも国内に有望な投資先がない以上、
経済成長の著しい国に資金を投資して、運用していくしかないのではないかと
考えられます。
まさに日は東に昇ることでしょう。
今、覇権がヘゲモニーが移っていこうとしている時を迎えようとしています。
西洋の文明も500年経つと色褪せてきます。
東アジアにバトンタッチする、禅譲する歴史的な転換点に入ったようです。

考え方によっては、主要国間の戦争がない状態で
パワーシフトしようとしているのですから幸せな時代です。
人類が水素爆弾を手にしてしまった以上、工業国間の戦争はないでしょう。
このことを昭和のはじめに、すでに洞察していた陸軍中佐がいました。
関東軍参謀の石原莞爾中佐、後の陸軍中将でした。
彼は超越した戦略、戦術家でした。
軍人では、明治の秋山真之海軍中将と並ぶほどの大変な秀才だったようです。
石原莞爾中佐は「世界最終戦論」で次にように二つの命題を中心に
展開したそうです。

1)日米間に戦われる。
2)それには核爆弾とミサイルが使われ、敵の後方中枢部に
  壊滅的攻撃を与えることによって超短時間で終わる。

3)日米戦争の後には、戦争は絶滅し永久的平和の時代がくる。

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実際には彼が予測していたより早く原爆が使われましたが、
それにしても慧眼の一言です。
アメリカは太平洋戦争の時が、国力の絶頂期だったと考えられます。
イギリスが辿った道をアメリカも似たように辿ると思われます。
ならばイギリスが、香港からそしてシンガポール、インド、旧セイロンの
スリランカから軍事力を粛々と撤退していったように、
アメリカも世界の軍事基地から最終的には撤退していくと
考えられなくもありません。
もっとも先の話ですが。
軍事力を支える金力がないと、こうなる状況は十分考えられることです。
香港を巧妙に間接統治したイギリスは、今は香港に金融機関があるだけです。
アメリカドルもイギリスポンドと同じ運命を繰返すのでしょうか。

次回は日立電線株式会社です。

「4.靴はもっと安くなるだろうか
『大手メーカーと言えば、機械靴メーカーということなんでしょうが、
いったい、どういうメーカーがあるんですか?』
と、私はきいた。
『日靴さんとスタンダードさんと大塚さんと、
名古屋のアジアさん、私どもと五軒あります』

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5.機械製は二〇%
『五軒でどのくらいの数量をつくっているのですか?』
『私どもは月産四万足ですから、昨年は四十二、三万足、
東京の四大メーカーだけで、
百六十万から百八十万足ぐらいじゃないでしょうか』

『紳士靴全体から見ると、機械製は二〇%足らずですが、今後、
機械製が手製を圧して伸びるという見込みですか?』
『ええ、今まで靴をはかなかった農村でも、
だいぶ靴をはくようになりましたし、
いわゆる消費景気で靴そのものに対する需要も年々増大しています。
機械製と手製の区別については、
従来、機械製は質が悪いという宣伝がありましたが、
今は靴屋の徒弟になろうという人が年々少なくなっていますから、
そうも言っておられなくなってきました』

『おたくでは靴をデパートにおさめているわけですか?』
『ほとんどのデパートに入っています。
また全国に一六〇〇点ほど、
私どもの靴を取りあつかっている小売屋さんがあります。
靴屋というのはもっとも遅れた商売で、少し前までは小売屋さん自体が
小規模なメーカーだったわけですから、
メーカーがメーカーに販売させるというおかしな形でした。
最近はそれが次第に少なくなって、
メーカーと販売店の分業という形にかわってきたわけです』

『すると、靴の世界にも、洋服と同じような現象があらわれつつあるという
私の推定はほぼ間違っていないわけですね』
『そうだと思いますが、洋服と違って製品に占める原料の比重が
かなり大きいですから、樫山さんのようには儲かりません』

『原料のコストに占める比率はどのくらいですか?』
『六二~六五%くらいです。
従って、原料を安く仕入れるように工夫すれば、
それだけ利益があがることになります』

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6.人造皮革の将来性
『近ごろ、人造皮革というのが発明されたようですが、
その出現によってコストが安くなるという見通しはないのですか?』
『いずれ人造皮革の時代になるでしょうが、
現在はまだバッグやカバンにつかわれている程度で、
靴の材料としては吸湿性、通気性にまだ難点があります。
コストの上でも、天然皮革の半額になるというほど安くはなっていません』

『ところで、靴の製造法にはそれほど大きな革命は
考えられないのですか?』
『いや、製法にはいろいろと工夫が行われています。
私どもと技術提携をしているゼネスコ社(アメリカ)からの情報によると、
従来のようなミシンをかける靴ではなくて、
ゴム底に皮をそのまま膠着させる靴が出来つつあります。
私どもは戦後、カカトをゴムにすることでかなり頑張って
現在ではゴムカカトは珍しくなくなりましたが、
現在でも足のカカトの震動が頭にこたえるような革カカトでないと
満足してくれない人があります』

『そういえば、キーキーと音を立てる靴が最近はなくなってしまいましたね。
むかしは、小学校の校長先生が講堂に生徒を集めて教育勅語を読むときは、
シーンとしたなかで、校長先生の靴の音だけがきこえたものですが』

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7.欧米なみの新工場を計画中
チヨダ・シューズは大正一三年、千代田機械製靴株式会社として発足、
戦争中は陸軍の管理工場として軍靴の製造に従事した。
昭和二〇年三月、新潟県加茂市に疎開すべく
機械設備いっさいを荷造りしたところで大空襲にあい、工場を全焼した。

戦後は疎開先の加茂工場で、細々ながら
通産省指定標準靴の製造を開始したが、東京へ戻らねばダメだと考え、
前に当社の従業員を訓練するためにたててあった青年学校の建物に
本社を移し、東京でも標準靴の製造をはじめたのである。
昭和二十五年になると、統制が解除されたので、
さっそく一般紳士靴の製造に乗り出し、二十六年暮れには
アメリカの前記製靴会社と外資導入、技術提携を行った。」

                                                                           .
                                                                           .
                                                                           .
日本企業の戦後から現代まで辿った経緯は見方によっては
次のように考えられます。

 1)海外の企業という先生から技術を学んだ。
 2)改良を加えて、消費者の信頼を得てブランドを築いた。
 3)原料のコストに占める割合にかかわらず、機械化した。
 4)その時点で考えられるベストをつくす。
 5)その内、新技術も出てくるので、臨機応変に対応していった。
 6)こうやって認められた企業になっていった。
 7)国内の成熟化という環境にあっては、
   国内で技術の腕を落とさないようにしながら、技術革新を続ける。

 8)一方で大きな海外マーケットで利益を稼ぐ。
 9)それでも業種によっては駄目になる時が来た。
10)こうやって業種によって二極化されていく厳しい時代になった。
11)日本人も企業も、今後は海外で資金を稼ぎだしていくことが
   定着していく時代になった。

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靴のメーカーである千代田シューズ株式会社は、上の文章のように
原料のコストに占める割合が62%~65%であったようで、
最終的には量で利益を確保していく業種であったようです。

12/14の「中国情報局」のネットを見ていたら、やっぱりという記事を
見かけました。
06年に世界で製造された靴、約148億足のうち、
7割近い約100億足が中国本土製だったそうで、
生産地では広東省東莞市が圧倒的に多かったそうです。
靴というローテイクの業界ではありますが、一事が万事この調子で
全ての分野で、エンジンを今後も噴かしていくことでしょう。

昨今は販売のやり方として、国内でもテレビショッピングが
認知されているらしく、私は興味もなく無関心でしたが、
いつまでも、我関せずとは言っておられない環境になっているようです。
便利でそれなりに消費者にもメリットがありそうだと改めて知った次第です。
「ジャパネットたかた」の2006年度の売上高は1,080億円あり、
コールセンターは福岡と佐世保市の本社にあるそうで
配送センターも佐世保市の本社に集約し、
原則としてすべての商品は佐世保市から発送しているそうです。
直販店を持っていないので、在庫も発生しないし、
費用も安いと見られているようです。
テレビショッピング会社の信用と商品のブランド力があれば
成立する形態だなと再認識しました。
お隣の中国にも、テレビショッピングがあるのは皆様、ご承知の通りです。

次回も千代田シューズです。

足を制するもの天下を制す  ~千代田シューズ株式会社~   
                                                    
「今の世は大衆の消費を覇握する企業がスターの座についている。
テレビしかり、ラジオしかり、菓子しかり。
古い型のままで大衆の足にしがみついていた製靴界も、
新しい脱皮がみられるようになって来た。
株を買わんとする人は、まず己の足元をみよう。

前週、既製服の大手である樫山オンワードについて書いたのは、
株価を一応論外において、日本産業界に現れた新しい変化を
多くの人に知ってもらいたいという意図からであった。

五十円額面の株が千百円というのは相当ベラボーだと思っているのに、
それがまた天井知らずに暴騰するものだから、
成長理論を背景にしているとはいえ、ただただあきれるよりほかない。
筆者の目的は、産業界の未来に対して
こういう見方もあるのだということを紹介することであるから、
それがただちに株価に結びついてくれない方がむしろ肩の荷が軽いのである。

しかし、この欄を読む人の中には、ただちに証券会社に
電話をかける人もすくなからずあるらしいし、
そんな値ガサ株ばかり書かないで、
われわれの手のとどく所にしてくれという声も高い。
もっともなご意見であるし、私としても、
なにも品薄値ガサ株が好きで書いているわけではないから、
何とかしてその声にこたえたいと思う。
ただ株価はアダについているのではない証拠に、成長性の高い株は、
株価も目茶苦茶に高いし、眼を皿のようにして相場表をにらんでも、
なかなかこれというものにぶっつからないのである。

さんざ考え抜いた末に、私はチヨダ・シューズに着目した。

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1.上場している唯一の製靴会社
ご存じのとおり、チヨダ・シューズ株式会社は、神武景気の時につまづいて
昭和三十二年に不渡りを出し、以来、三年間、無配を続けてきた会社である。
経営陣が交替し、その後、再建につとめ、
どうやら銀行の借金に昨年十二月の決算で完済し、
今六月期には、原料屋から棚上げしてもらっていた負債を返却して
復配にすすめる段階までこぎつけてきた。

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2.観音様のおひざ元
こうした形の会社は上場会社の中には、ほかにもいくつかある。
岩戸景気がハヤト景気にバトン・タッチをして、
経済界における『豊作』が四年目になってもなお衰えを見せないから、
という見方は必ずしも当を得ていないとは言えない。
しかし、チヨダ・シューズの場合は、
いささか条件が違うのではないかと私は考えた。

というのは、洋服屋の中から樫山オンワードのような既製服メーカーが
出現したように、これだけの機械化と人手不足が一般化すると、
『たかが靴屋が』とは言っておられなくなるに違いないからである。
そういう観点から、私は靴のメーカーはないかとさがした。
上場、店頭を通じて、チヨダただ一軒しかない。
業績は調べてみると、

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      (百万円)       (%)
 年月    売上高   利益   同率   配当
33・12  二八九    七  九.二    …
34・6   三一六   一〇   十四    …
34・12  四二三    八   十二    …
35・6   四七五    七    九    …

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すなわち、業績の伸びが期を追って順調に推移しているばかりでなく、
靴屋の売上はむかしなら年末に集中して、上半期は前年度の売上と
トントンに行けばまあまあといったところなのに、
六月期も前年一二月期より多くなっている。
この調子なら、前十二月期は相当業績も回復しているのではないかと
思いながら、私は浅草馬道にあるチヨダ・シューズの本社へ出かけて行った。

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3.ゼミナール戦法
チヨダでは何年も前から販売店の人を集めては、
あちらこちらの地方都市でゼミナールをひらいている。
今年も北は北海道からはじまって、
今日が別府で最後のゼミナールの日だというので、あいにく社長は不在。
取締役・東京工場長をしている安田忠勝さんをはじめ、
幹部の人たちが私を迎えてくれた。

一週間前までは、靴屋の話を書こうとは考えていなかったので、
私は日本において一年にどれだけの靴が消費され、
どういう大手メーカーがあるのか全然予備知識を持ち合わせていない。

いろいろと話を聞き、業界紙の統計などを見せてもらって、
たとえば、昭和三十年には千六百万足、
(紳士靴六四〇万足、婦人靴九六〇万足)だった生産高が、
昭和三十五年には、推定二千六百万足
(紳士靴九五〇万足、婦人靴千六百五十万足)と
約六割伸びていることを知った。」

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この千代田シューズ株式会社の記事が「週刊公論」に発表されたのは、
昭和36年2月13日号だそうです。
この時代は大衆消費財のメーカーが君臨していた時代だったようで、
省力化と人手不足対応に奔走していた企業にあって
白羽の矢が立った中の一つが千代田シューズ株式会社であったようです。
その靴ですが、ウォーキングスタイルで闊歩する人達をよく見かけます。
靴にも色々な商品やブランドがあるようで、
インターネットで見てみると次のようなものが出てきました。
国際色豊かな商品であることがわかります。

1.靴の種類
 1)スニーカー
 2)レディース
 3)メンズ
 4)カジュアルアウトドア
 5)ウォーキング
 6)ビジネストラッド
 7)キッズ

2.靴のブランド 代表的なメーカーを抜粋
スニーカー
 1)ADIDAS アディダス
    ドイツで設立。サッカーは今もトップブランド。
    3本ラインと月桂冠をかたどった三つ葉マークのトレフォイルで有名。

 2)AIRWALK エアウォーク
    ヴァンズとともにスケートボード用シューズの代表メーカー。
    アメリカで設立。

 3)ASICS アシックス
    日本を代表するブランド。マラソンは今もNo1。

 4)CONVERSE コンバース  アメリカで設立。
    累計5億足の世界的ベストセラー、キャンバスオールスターで有名。

 5)FILA フィラ  イタリアで設立。
    白を基調としたトリコロールカラー、イタリアンカラーの
    明るいデザインが特徴。テニスウェアで有名。

 6)LAGEAR LAギア  アメリカで設立。
    女の子に人気のオシャレなブランド。

 7)MIZUNO
    日本最大のスポーツメーカー。
    ジャイアンツのオフィシャルシューズとしても有名。

 8)NEWBALANCE ニューバランス  アメリカで設立。
    足入れの良さで堅実な人気がある。特に女性に好まれている。

 9)NIKE ナイキ  アメリカで設立。
10)PUMA プーマ  
    アディダスと共にヨーロッパの二大スポーツメーカー。
    サッカーで有名。

11)REEBOK リーボック
    衣料用のソフトで軽量なガーメントレザーを使った
    フィットネスシューズで大ヒット。

メンズシューズ
 1)BALLY バリー  スイスで設立。
    世界のビッグブランド。
    約140年間、35万足分の木型を持つと言われる。   

 2)BIRKENSTOCK ビルケンシュトック
    ドイツの元祖健康サンダルメーカー。
    足の裏に合わせたインソールが特徴で世界中で履かれている。

 3)EDWARD・GREEN エドワードグリーン
    英国のハンドメイドメーカー。

 4)HAWKINS ホーキンス
    英国の王室御用達ブランド。日本ではボリュームプライスで
    ライセンス生産され、ニコルさんやキムタクのCMで話題になった。

 5)JOHNSTON&MURPHY ジョンストン&マーフィー
    歴代の大統領が愛用してきたことで知られる米の高級メーカー。

 6)MORESCHI モレスキー
    イタリアの高級メーカー。

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多種多様な商品があり、これだけのブランドが出てきただけでも
歴史のある商品であることがわかります。
もっとも靴屋さんに並んでいる一般商品の安いものは
殆んどが中国産らしくて、これを見て中国にデザイン性のある靴はないのかと
錯覚しがちですが、ちゃんと中国にもあるのです。
種類にもよりますが、温州でお洒落な靴があるのを見たことがあります。
いつまでも同じ視点で見ていたら、こちらが取り残されそうです。

こういった中で、靴を製造していた千代田シューズは
どんな会社だったのでしょうか。
次回も続きます。

「7.海外との競争は十分できる
『ところで、既成服の輸出は可能ですか?』
『実はそのことで、アメリカの既製服メーカーを見てまわりました。
どの程度オートメ化されているのかと思っていましたが、
私どもの採用している方式とそれほど大きな違いはありません。
こちらで五人使っているところは三人で間に合わせているという程度です』
『それならば十分競争してやって行けますね』

『おっしゃるとおりです。
ただ既製品の輸出については、向うの同業者間に猛烈な反対があって、
もし自由に輸入させるなら
日本製繊維品をボイコットするとの気勢を見せていますから、
当分、静観というところです』

樫山さんは非常に物腰の柔らかい人であるが、
同時に非常に目先のきく人である。
洋服、とりわけ婦人物のように、大衆が流行を決定する商品には
えてして目算違いということが起りがちであるが、
これまでも目算違いがあると、それが大きな損害に立ち至らない前に
すぐにしかるべき手を打ってきたそうである。
だからこそ常に流行の先端に立ってオンワードの商標を
今日のように普及させることができたのであろう。

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8.高値の株であるが
『それにしても、五十円の株が一株千百円とはどえらいものですね。
事業の内容が面白いから七、八百円の時に
一度紹介しようと思っていたのですが、こう高くては……』
『資本金は一億円ですが、諸積立金は四億円ほどありますし、
不動産や土地も時価にすると二十億円くらいあります。
だから株価に見合うくらいの含み資産はあるわけです』

『株価があがったのは増資の時期が近づいたせいですか?』
『今のところ、四月中旬割当て
六月末払込み完了の倍額増資という線を考えています』
『すると、今の値段で権利落ちして五百七十五円ですね。
来年もまた増資ですか?』
『ええ、来年もだいたい同じ時期に倍額増資をすることになるでしょう。
その時の業績にもよりますが、十億円くらいまでは問題なかろうと思います』

そうだとすると、たとえ一株を千百円で買っても、
あとの九株は四百五十円だから十株で千五百五十円、
しかも年々高額の配当が予想されるから、
増資が近づくとかなりの高値まで買い進まれる性格を持っている。
今日買って明日すぐにあがるかどうかはわからないが、
当分、七、八百円台に権利落ちするとすれば、
一年ごとに倍値上がりする可能性がある。
下手な株を抱いてフーフー言っているよりは妙味があるぞ、と私は思った。

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9.皇太子に既製服を
昭和通りにあるオンワードの豪華なビルで樫山社長と歓談をしたその翌日、
私は大阪へ行った。
あらかじめ連絡をとっておいてくれたので、
大阪本社では二代目であり常務である樫山軌四夫さんが
私を都島工場へ案内してくれた。
軌四夫さんは遠藤製作と同窓とかで、ホラ吹き遠藤の悪童時代の話が出た。

『ところで、あなたが着ていらっしゃるのは既製品ですか?』
素敵な洋服だったので、
多分その反対の答えが出るだろうと予期しながらきいて見たところ、

『ええ、もちろんそうです』
と、両手で襟をつまんでニッコリ。

都島工場は二階建てのダダッ広い建物で一階に裁断室と仕立室があり、
二階に袖なら袖、襟なら襟、ボタンかがりならボタンかがりだけと、
手分けをして女工さんがいそがしく立ち働いている。
背広の襟のシンなどはいちいち手で縫ったら
おそらく何時間もかかるだろうところを各種機械で、ホンの数分で、
しかも手よりも正確に縫いあげてしまう。
裁断に至っては五十着、百着と重ね合わせて一ぺんにたちきってしまうから、
手内職ではとてもかなわないわけだ。
『これからは、私も了簡を改めて、
レディ・メードを着ることにしましょうか』

工場を一まわりしてから私が言うと、
『ええ、ぜひそうして下さい』
『しかし、それよりも先に皇太子殿下にも
レディ・メードをおすすめしたらどうです?
いつまでもあんなダブダブのズボンを穿かせてはお気の毒ですよ』

数年をいでずして、洋服と言えば既製服が常識という時代になるであろう。
そして、次々と競争メーカーが現れるであろうが、
オンワードのつくった既成地盤を崩すのは容易でなかろう。」

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当時の成長していった企業には、一つのパターンがあるようです。

1)まづ国内で基盤を固める。
   ・この間にヒット商品を出し、消費者の心をつかむ。
   ・リピート性がある商品を市場に供給する。
   ・消費者に信頼される。
   ・自社の強味を活かす。

2)次に海外に活路を見出す。
   ・時を待つ
   ・そしてマーケットの拡大。

3)環境の変化に気配りし、必要があれば機敏に軌道修正する。
   ・過ちに気付いた時には、素直にそして素早く対応する。
   ・企業を取り巻く環境に常に注視し、マーケットの動向に目を光らせておく。

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こういった中で、樫山さんは火消しの名人になっていったようです。
時代は異なっても、基本的な企業経営は変わらないと考えられます。
ただ違うとすれば、企業を取り巻く環境が変化した時に、
どう対処するかということでしょうか。

時代を遡って、ローマ帝国が滅亡したのは、色々と諸説があるようですが、
結局は変化に対応出来なかったからでしょう。
パックス・ブリタニカからパックス・アメリカーナに覇権が移ったのも、
大英帝国が時代の変化について行けなかったからでしょし、
またアメリカの追い上げがあったからでしょう。
アメリカは圧倒的な軍事力だけは今後も継承していくでしょう。

国の覇権が移り変わっていくときは、いつの時代でも、
しばらく混乱と不安定が続きますが、その後は静謐が来るものと考えられます。
昔のように、先進国間での戦争がないだけでも幸せな時代かも知れません。
現在の日本企業を取り巻く環境はこのような状況の中ですが、
国境の長いトンネルを抜けると、雪国であったではありませんが、
トンネルを抜けると、日本晴れであった、
青天白日であったという風景を早く見たいものです。

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